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故郷の煮物、しいたけ、そして里芋


私の母の故郷は、岐阜県の山奥にある。

そこはスーパーまで車で30分以上かかる。近くにコンビニはない。山や畑、田んぼに囲まれた田舎である。
祖母も動ける時は畑で野菜を沢山育てていた。
鹿や猿、いのししが現れ、ちょっとした悪さをする。そんな場所。
亡くなった祖母の遺品を整理しに祖母の家へ。2021年11月、私と母は訪れたのであった。

重くずっしりとした雨戸を開き、祖母の家に光が入る。どんよりとした湿っぽい空気が一気に軽やかになり、家がほんの少し生き生きとする。

雨戸を開けると、勝手口(台所の入り口)に近隣の住民が訪れる。

「久しぶりに雨戸が空いたから誰かいるのかと思って」
そう言って訪れたのは、椎茸を栽培してる農家のおじいちゃん。優しい笑顔で私達を歓迎してくれた。おじいちゃん(通称、椎茸のおじいちゃん)と長々とお話をして、翌日、母と一緒に椎茸狩りに連れて行ってもらうことになった。

小さなトラックに乗り、でこぼことした道を走った。椎茸の森は深い緑とごわごわとした原木が印象的だった。
母は椎茸をすぐに見つけて籠にいれているのに私は全然見つからない。
「○○(名前)ちゃん、ここ沢山おるでー。」
と椎茸のおじいちゃんに呼ばれて駆け寄ると、原木の裏の方に立派な椎茸がぽこぽこと生えていた。籠がいっぱいになるまで収穫を楽しみ、その日の夜は採れたての大きな椎茸を焼いて生姜とお醤油で食べた。
肉厚で柔らかい椎茸がお腹も心も満たしてくれた。
椎茸のおじいちゃんは、お土産用に沢山の椎茸を渡してくれた。
私は後日、この立派で沢山の椎茸が数万することを知った。

あっという間に北海道に帰る日が来た。椎茸のおじいちゃんは丁寧に祖母の家の近くまできてくれて道路で見送ってくれた。
どこか寂しそうな顔で見送ってくれた。

北海道の自宅に帰った私達は、岐阜でいただいた椎茸や里芋を使って煮物をつくった。里芋は母が畑で採ってきたものだ。
「この里芋は、ばあちゃんがつくった最後の里芋なのよ。」
母のうるうるとした瞳をみて、私も胸の奥がいっぱいになる。
煮物は出汁が効いていて優しい味がした。
椎茸の旨み、とろける里芋、故郷の味というのを生まれてはじめて実感した。
また、岐阜に行って椎茸のおじいちゃんにお礼を言おう。煮物にしてとても美味しかったこと、また椎茸を採りたいということ。わざわざ祖母の家に来てくれて見送ってくれたことが嬉しかったこと。

でも直接伝えられる日は来なかった。翌年、椎茸のおじいちゃんは永眠なさった。
私が次に岐阜に来たのは2023年8月だった。祖母の3回忌だった。
青々とした森、虫の声が一層蒸し暑くてたまらない。
祖母の家に着くと必ず最初に雨戸を開く。今回も重い雨戸を開けて外の空気を家の中に入れた。今回は勝手口に誰も現れない。祖母の里芋畑も今はただの土がみえるだけ。
窓から小さなこの集落を見渡した。聞こえるのは虫の声だけ。みえるのは古き良き民家と木々や田んぼ。そして山。ようやく人を見つけた。90歳を過ぎたおじいちゃん。

もう二度と食べられない故郷の煮物。
もしかしたら故郷がなくなる可能性だってある。
あの煮物の味が脳裏染み付いて残るだけだった。

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