何事にも基礎は大切だし、僕は実業家と近いネーミングセンスを持っている

渋谷にある山種美術館に行ってきた。

カットモデルの時に渋谷について気になったというのもあるが、プレゼント企画で山種美術館への招待券が当たったというのが一番の理由だ。人は外発的な動機によって動かされてしまう悲しき生物である。

招待券が届いたのは7月の中頃だったはずだが、「いつか行かなきゃな〜」と思っていたら2ヶ月が経過してしまった。9月下旬には期限が切れてしまうので、この前急いで行ってきたという訳だ。

僕はここ数年で美術館や博物館に行く頻度を意識して上げているので、今回の招待券は渡りに船であった。頻度を上げたといっても、年に1回行けば良かったものを半年に1回くらいにした程度が、それでも行く美術館が増えるのは嬉しい。わくわくしながら行くことにした。

ちなみに、招待券はペアチケットだったが、僕は一緒に行く人がいなかったのでひとりで行った。今もまだ、期限の切れた招待券の片割れが悲しい顔をしながら財布の中に押し込まれている。


この文章は特に何か頭を使って読むものでもないし、前回までと同じくらいの3〜4,000字ほどに収まる予定なので、5分くらいの暇つぶしにしてもらえたら幸いである。






山種美術館の命名はあだ名から?

この美術館について知った時、僕が最初に思ったことはひとつ。

「山種美術館という名前、独特すぎない?」

たとえば、上野にある「国立西洋美術館」はどんな場所か容易に想像がつく。「国が作った西洋美術に関する館」だ。そのまんますぎて安心感がある。六本木にある「国立新美術館」も似たようなものだ。

たまに「21_21 DESIGN SIGHT」みたいなオシャレ命名施設もあるが、これも「21世紀のデザインを見ていく施設」みたいに捉えることはできる。あと、この施設は美術館というよりはデザイン施設だから、いい例じゃないかもしれない。


余談だが、21_21 DESIGN SIGHTのWikipediaを見たら、ページ内で「21_21」と略されてて笑ってしまった。「携帯」みたいな略され方するんだ。



さて、ここで出てくるのが「山種美術館」である。由来があまりにも分からない。地名でも既知の単語でもない。わけ分からんなぁと思いながら美術館に行った。

美術館の展示入口に、館名の由来についてしっかり書かれていた。そこにあった内容は正確に覚えていないが、ざっくりまとめると「この美術館は山崎種二さんが設立したので山種美術館です」ということだ。山崎種二だから山種。想像以上に安易な命名だった。

せっかくなので、山崎種二についても調べてみた。僕は寡聞にして存じ上げなかったのだが、彼はSMBC日興證券株式会社の前身である山種証券株式会社を設立するほどの実業家だった。 実業家としてはすごいが、山種証券はやはり安易なネーミングである。


ここまで棚に上げていたが、僕は「しみたいYouth Choir」という企画合唱団をしたことがあるので、僕のネーミングセンスは山崎種二と同じくらいのレベルであろう。

あるいは、彼も僕と同じく他の人から「山種を名称として使いましょうよ!」みたいなことを言われたのかもしれない。僕の友人は僕で遊ぶのが好きな人ばかりなので、彼の周りがそうでなかったことを願う。


山崎種二の話の中で、横山大観との親交がいくつも取り沙汰されている。そういえば、山種美術館にも横山大観の絵が飾られていた。東山魁夷の企画展なのに横山大観の絵があるのすごいなと思っていたのだが、横山大観と親交が深かったのが大きな理由のひとつだろう。


そういえば、以前川越にひとり旅をした際、ふと目に留まった「山崎美術館」に立ち寄ったことがある。ここの初代館主は山崎嘉七さんという方だったが、嘉七さんといい種二さんといい、山崎さんは自分の痕跡を残したいタイプなのだろうか??

…と思ったが、ちょっと調べただけでも横山美術館栗田美術館などが確認できたので、山崎さんというよりは実業家の中でのあるあるなのかもしれない。「虎は死して皮を留め、人は死して名を留む」を体現している。





僕はもっと美術に興味を持った方がいい

さきに少し触れたが、今回の山種美術館では 東山魁夷 という画家に焦点を当てた企画展を開催していた。

彼は長野千葉に「東山魁夷(記念)館」が建てられているほどには社会に影響のあった昭和の画家だ。調べるまで知らなかった。己の不見識を恥じるばかりである。

ただ、僕が恥じるべきは不見識だけではない。美術館に行って最も印象に残ったことが「美術館のライトって指向性すごくない??」なのである。

美術館の天井に吊るされているライトが、絵はもちろんのこと、作品名の小さいパネルまで正確に照らしている。数mmの光のモレがなければ、自然発光している謎のパネルだと感じていたことだろう。というより、僕はパネルのことを気にしたことすらなかった。

技術の進歩を感じた。あるいは、過去の技術に自分が追いついたのかもしれない。とにかく、A5くらいの小さい幅を天井からピンポイントに照らす技術力に感心したのであった。

……

これが感想なら行き先が美術館じゃなくて良い気がする。現に、このまえ都で開催された合唱コンクールを聴きに行ったが、その時も同じことを思った。単純に、自分がライトに明るくないだけなのかもしれない。僕の知識のなさを導いてくれる明かりはどこにあるのだろう。それを探すために、僕は美術館にある高い指向性のライトに照らされ続けるだろう。






基礎は大切。どの世界でもそう。

展示を見ていく中で、ある文が目に留まった。東山魁夷の師である結城素明の言葉だ。
「絵がまとまらないのは写生が足りないからだ。写生を続けなさい。」
「平凡なものを緻密に見れば、非凡な発見がある。」

なんていい言葉なのだろうか。
結城素明は写生を絵の基本と捉え、その基本を徹底的にやり込むことで、新たな視点が生まれると信じていたのだろう。

瑞宝章を授与されるほどの人間がこうしているのだ、況や僕のような一般人をや、といったところだ。

僕はまだ非凡な発見をした事がない。それを「才能がないからだ」と一蹴することも出来るが、きっと「平凡なものを緻密に見続ける努力が足りない」のだろう。努力が報われるとは限らないが、成功したものは押し並べて努力している。

現状の僕は、任意のものに対して、緻密に見る努力は足りていないだろう。努力の仕方がそれぞれ分かっている訳でもないが、質は量の担保なしに向上し得ないだろうし、それぞれ努力していきたい。潰れない程度にね。



ちなみに、2014年末から2015年始にかけて同じく山種美術館で行われた「東山魁夷と日本の四季」でも、同様の記載があったことが確認できた。

今回の展示は東山魁夷の没後25周年記念であったが、これは没後15周年の記念だったみたいだ。素晴らしい画家がこうして何度かフォーカスされるのはとても良いことだと思う。僕みたいな不見識野郎が減るので。

10年前の僕にもう少し教養があったなら、この展示にも興味を持ったかもしれないが、10年経った今でも美術館に行って1番印象に残っていることがライトの指向性についてなので、今も教養らしいものは何もないし、当時見ていたとしても良い経験になったとは思えない。今回が初めてで良かった。





雑多なことを書いた。もう開催していないが、今回僕が行った特別展『東山魁夷と日本の夏』については『美術手帖』内にあるページで確認できる。

こんなnoteより7万倍は素晴らしい筆運びなので、こちらも是非見てほしい。

10年前に行った展示が時を経て復活したのだから、10年後にまた似たような展示を開いてくれるかもしれない。10年間楽しみにしておこう。僕は数ヵ月後に忘れると思う。


それではまた。


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