3年半前のメモを見て恥ずかしくなろう-その1『自分を貶すための言葉ならいくらでも思い付く』

なんの変哲もない晴れの日。あまりに何もなさすぎて、スマホに入っているメモ帳アプリを眺めていた時にふと思ったことがある。

Notion使った方がいいかもしれん


いちおう申し添えておくと、これはNotionの広告案件ではない。こう思った理由がちゃんとある。

そもそも今の自分には、何かを書き留めておきたくなった時に使う場所が多すぎるのだ。

LINEだけでもKeepメモと公式アカウントに加えて自分だけのグループルームがあるし、そこにGoogleのKeepメモと初期アプリのメモ帳が追加される。なんならパソコンのメモ帳は別で使用しているし、Windowsのエクスプローラーの中にはメモが至る所にある。

さすがに散乱しすぎだろ。

これでは何かを思い出したい時にメモした場所を思い出せない。本末転倒である。メモをする意味がない。

しかも、眺めていたスマホのメモ帳アプリに書いてあることは8つしかない。こんなん使わない方がいい。この8つのために使っているアプリの容量が勿体ない。他のものと一緒に管理できるだろ。


という訳で、今あるメモ書きはNotionに移していきたい。せっかくnoteによってアウトプットする機会も出来たのだから、インプットのための道具も整えた方がいい。




メモ整理の際に見つけた怪しい文字列

そうしてNotionをインストールすることを決めたわけだが、スマホのメモアプリに書かれている8つの貴重なメモの中に、ある香ばしいメモがあった。タイトルはこれ。

『新解釈三国志を観て刺激されました』

なんのひねりもないタイトルだ。こいつの書く文章、つまらなさそうだな。

『新解釈・三国志』は2020年12月に公開された、「三国志にこんな解釈があってもいいじゃないか」という言葉を盾にして割と好き勝手遊んだコメディ映画である。Amazonのプライムビデオで観ることが出来るので、良かったらぜひ見てほしい。三国志を知らない人でも楽しめると思う。

3年半前、この映画を観た僕は「なにかをアウトプットしたい!!」と思って、この香ばしいメモを書き始めた。たぶん。
これをメモしている時には「この文章を皮切りにnoteでなにか書き始めよう」と思っていた気もするが、なにしろこのメモを見つけるまで存在を忘れていたし、見つけた今も何を書いたか全く思い出せないので、そんな文章はnoteに載せなくて正解だったかもしれない。

なにより致命的なのは、この文章が途中で終わっていることだ。完成していない。999文字で止まっている。


過去の自分が力尽きた跡

1,000文字程度で飽きるなよ。そんでそれを3年半も忘れるなよ。いや、忘れたのは僕だけが悪いわけじゃない。前述の通りメモ帳として使うツールが多すぎるのが良くない。これだけ沢山のツールを使い始めたのは僕だな。つまり僕が悪い。悪いのは僕です。


……今回は、3年半前に生まれた書きかけの文章を見ながら、恥ずかしさに耐えつつ『新解釈・三国志』の魅力をできるだけ思い出していきたい。

なお、恥ずかしさを紛らわせるために既に1,300文字くらい使ってしまっているので、何回かに分けて投稿することになるだろう。こんなものはシリーズ化したくないが、元の文章も今の自分もつまらないので、何とかしたいがために文字数が増えてしまう。

これを読んでくれる方は、なんとか共感性羞恥に耐えてくれることを願っている。どうか自分と照らし合わせずに、「こいつなんかつまんなくて草」とでも思っていて欲しい。






まえがき

それでは早速見ていこう。最初の段落はこれだ。

ついに新解釈三国志を観てきました。発表された時から楽しみにしていたんです。自分が小学生の頃に読み耽っていた三国志を、自分が小学生の頃に見続けていた大泉洋が主演として登場するなんて、面白くない訳がないんですよ。強い期待を胸に映画館へ足を運びました。

誤字には目を瞑るとしても色々言いたいことはあるが、とりあえず作品名は正しく表記した方がいい。正しい作品名は『新解釈・三国志』だ。さっきの画像を見てもらえば分かるが、タイトルの時点で間違えている。よくない。

あと、僕はこの映画を2021年の1月3日に観たはずなので、公開からだいたい1ヶ月ちょっと経っている。発表された時から楽しみにしていた割には遅くない??

これの理由は思い出せる。友人と見に行く約束をしたが、予定の合う日がこの日くらいしかなかったのだ。今考えると三が日にしか予定が合わないのもすごいな。


文章に書いてあるとおり、大泉洋も三国志も僕が小学生の頃から触れてきたコンテンツだったので、それがクロスオーバーするなら自分にとって面白くならない訳がないと思っていた。しかし、大泉洋と劉備は水と油のような存在だろうと感じていたのも確かだ。

今の僕は映画を見なくともこの不安を払拭できる。監督が福田雄一さんだからだ。




福田雄一さんは、コメディ映像を撮らせたら右に出る者はいないというレベルでコメディ作品を得意とする脚本家・演出家だ。
『笑っていいとも!』や『ピカルの定理』の構成、『勇者ヨシヒコ』シリーズの脚本、『斉木楠雄のΨ難』の監督を務めたと言えば、その凄さが分かるだろう。

当時は監督のことを調べずアホ面で映画を観ていたが、いま観ることになったら最初から期待全開だったであろう。

とはいえ、当時の自分も「コメディ100%やろ」と思って映画を観に行ったようだ。2段落目に書いてある。見てみよう。

予想していたコメディ風味の面白さがありつつ、三国志というコンテンツあるいは歴史上の事実全般について考えさせられる、とてもいい映画だった、というのが率直な感想です。ただのコメディだと決めつけて観に行ったので、思ったよりメッセージ性が込められているように感じました。

「率直な感想」と言うくらいならもう少し嘘偽りのなさそうな発言をして欲しいのが 率直な感想 だ。この文は取り繕ってそうな雰囲気に溢れている

Twitterで「いいねした人に名前を隠して思ってる事を言う」みたいなハッシュタグをツイートし、実際にいいねしてくれた人に思っていることを言っていた時に「しみたいのタグ、バーナム効果みたいだな」と言われただけのことはある。
何か言ってそうで何も言っていない。価値のない文字列である。なにを考えさせられるのかも分からないし、どんなメッセージ性かも分からないし。


自分でボロクソ言ってて悲しくなってきたので次に進もう。次は第3段落である。

今回放映されている「新解釈」には、現在主として語り継がれている所謂「演義」や「史実」との違いが多く散りばめられています。今日はその違いを取り上げて、自己満足の考察を付け足していこうと思います。つまり、ネタバレが沢山あります。新解釈三国志を観たいと思っている方は、これ以上先に進まないことをオススメします。また、ここまで読んだ方なら薄々気づいているかもしれませんが、話したいことがとっ散らかっています。汚い日本語を読むことに抵抗がある人は、ここで読むのをやめることをオススメします。

情報量が多くない??

これが小論文だとしても、もう少し段落分けしそうだ。

当時の僕がここで言いたいことは3つ。

  • 今回の映画で話されているものと、「史実(※)」や「演義(※※)」に書かれているものの違いを、自分の考察を交えて話したい

  • ネタバレがあるので気をつけてね

  • 文章が下手なので気をつけてね

※史実…ノンフィクションの歴史。陳寿が著した本に記されている内容を指すことが多い。
※※演義…史実の内容をもとに作られたフィクションで、明の時代に羅貫中が書き上げた小説。「三国志」と言われて皆が思いつく内容の90%は演義で付け足されたものだと言っていい。


この3つを1つの段落にまとめるなんてことは、今の自分ならやらない。技術が必要すぎる。もっと文章力が上がった数年後の自分に聞いたら分からないが、今の文章力だと読みづらい怪文書になること請け合いだ。

そして実際、僕には読みづらく見える。自分の書きたいことをとりあえず書いた感が否めない。

これは今の自分が言っていい事じゃないかもしれないが、文章を書くなら常に読んでくれる人の事を想定するべきだと思う。

今の自分は、「この文を読んでどう受けとって欲しいか」を考え始めることが出来ている。3年半前と比べたら大きな進歩だ。3年半かけてこれだけかよと思うと少し悲しいけど。

とはいえ、「史実」「演義」「新解釈」の三軸で三国志について語る、というのは良い方向性だと思う。情報の取捨選択には知識がいるが、三国志リテラシーがそれなりにある自分なら割と正しく描写できそうだ。分からないことがあっても文献は大量にある。真面目に書いてみてもいいかもしれない。



まえがきで終わりました

もう3,500字だ。これ以上は僕が恥ずかしさで死ぬのでまた次回にして欲しい。

僕は恥ずかしさを紛らわすために無駄な文章を書くという要らない知見も得たし、今回はこれで終わりにする。

次回、ついに本文に入る。どこで文章が途切れるのか、期待しないで待っていて欲しい。


それではまた。

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