「アンチ・ドラマ」―2021/09/27
・朝ごはんは昨日の鍋の残りを食べた。鍋の残りを朝食で食べることは一人暮らしでもままあるけど、その場合前日の夜から予定していなければ実現することはできないし、逆に言えば鍋を作った時点で翌日の朝食、いや昼食くらいまでのメニューが確定する。その点この鍋は選び取った鍋である。なんかうれしい。
・午前中は卒論をやったりやらなかったり。嫌になったら空を見つめられるし、考えがまとまらない時には仏間を歩き回れる。空間に生かされているな。
・お昼ご飯は祖父母が買ってきたものをもらう。食べるものを選ばない自由。一人暮らしだとちょっと煩雑なことが実家だと無くなっていて、なるほど、と思う。
・晴れてきた。
・萩の月、実は結構箱代が高くて直営店でしか売ってない箱なしverの方が同じ値段でも数個多かったりするんだよ、と言う話をされた。実は帰省前たまたまそれを知る機会があったのだが、言わないでおく。
・ちなみに仙台駅の場合2Fのお土産コーナーでは一個一個箱に入ったバージョンのものしか買えません。B1Fの菓匠三全に行くと、箱の個包装がない萩の月が買えます(販売元は全く同じなのにね)。安いし多いので是非。
・晴れたしお散歩行こうか。
・いつもの散歩道。決まった道を歩くので、ふとした景色でいろんな年代の記憶を思い出す。まだ22年しか生きてないが。
・稲がたわわに実っていた。そろそろ稲刈りかな。ちらほら倒れているところもあって「頑張ってください」と念を送る。
・抜ける浜風が心地いい。
・『大豆田とわ子と三人の元夫』見終わりました。とても良かったです。
・ドラマなんだけど、つくりはアンチ・ドラマだったように思う。生活の一部分が断片的に(時間も場所も時には時代も飛びながら)描かれるんだけど、それらをなにか一つの「テーマ」のようなものに収斂することなく、物語を進行していく。
・しばしば「主人公が育つ」「善が勝つ」みたいな具体的な結末を伴って1つの物語におけるメッセージは伝えられる。しかし『大豆田(ry』はそういったもので束ねられていない。むしろ、生活の断片を渡されてそれを束ねるのは受け手である私たちが能動的に行うことなのだ。
・そこにある種の自由さを感じたし、心を掴まれた。作品が私に問いかけているのではなく、むしろ作品を通じて私が考えたがっている。
・すこしでも視聴者に渡す情報の配分量を間違えると、理解が追いつかず「冗長だな」と飽きられてしまったり、逆にもっと強い刺激を求められたりしてしまいかねない。上手だなーーーと思った!
・役者の演技も好きだったな。松たか子の表情目線運びは高校の友人にそっくりだったし、豊嶋花のハスキーな声と自然体の演技も素敵だった。
・卒論もこんな感じで行こうかなと思ったけどダメだ。何も知らない人でもそれを読めば自分と同じ理解度になるくらいを目指したいので…。
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