「光は真っ直ぐ進んであたる」―2021/12/05

・やることもりもりモリリンなのでとっととやるぞ!


・とにもかくにも今日中に提出するものをやっつけねばならぬ。肝の部分はできているので序文とまとめを書いて注をつけることでひとまず完成っぽくしていく。せっかくチェックもらうのに枝葉末節で指摘ポイントを使われるのはもったいないので出来るだけつめる。

・昼休憩。注って思ったより大変だな……。自分では当たり前に使ってる固有名詞を説明するためにつけることが多いぶんそれを証明するっていう作業があるのが変な感じだ。そして改めてその原義に立ち返ってみると自分でも把握できてないことがあるのを知る。

・やっつけた!!!!!!!!!!!!!!送っちゃうもんね。さらばだ………。


・早めにやった方がいいであろうタスクを2個片付けた。優秀すぎる。勢いって大事だな。タイピングが全然億劫じゃない。

・実はもう一つあったのだがそれはなんか重そうだったので見なかったことにした。ちゃんとレポートじゃんこれ。今週中にできりゃいいわ。




・やることが終わってしまうとそれはそれで暇だな。とりあえずゲームをしたが流しな感じがある。

・そろそろ家を出るか。

・観劇。舞台美術が綺麗で装置もすごかったな。脚本は実際に取材を重ねて作ったものらしく、そこにフォーカスを当てて話を作るのね、とこれまた興味深かった。実際に被災した人が「たいへんだなあ」と思うこととその話を聞いた人が「大変ですね…」と思うポイントには実は結構ズレがあるんだろうな。

・ちょろっと書いておくと震災によってなんらかの被害を経験した人はもちろんその当日だとか、そこでどういう被害を受けたかってことも印象深く覚えててそれを話すけど、その後も続く生活の中で現れる困難にフォーカスを当てて話すんじゃないかなと思うんだよな。もちろん自分がそうだというのもあるのだけれど。

・それに対して、語りを聞く立場の人はやはりそうした困難につながる原因となった震災とか、その近辺の悲しみに光を当てようとする。多分そんなストレートなことは当事者同士じゃ小っ恥ずかしさがあってやらない営為。でもそれゆえに悲しみの根源に向き合う機会が少なくなるからこそ、そういった機会も大事なんだろうなあと今だから思える(多分私がまだその渦中にいたらシマを荒らされた気分になっていい気持ちはしなかった)。



・明日からは休息を入れます。課題とかは一旦棚上げ!

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