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「断片的というあきらめ(たくなさ)」―2021/09/18

・いよいよ明日の10時からです。どうぞよろしくお願いします。

・もともとはこの日程でリアル演劇をするはずだったんだよな~~~~~くやし~~~~~~~~~~

・でも高校時代(2016年)に作ったこの作品も、当時の考えがそっくりそのまま保存されていて、震災のことを考える/語らうベースになり得ると思うので、ぜひ見てください。10年たってもなお答えが出てないんだよな、自分の震災に対する向き合い方と言うか、捉え方みたいなものが。なのでできるだけ多くの人とお話して、一緒に考えていきたいなと思ってます。

・予約は必須だぞ!



・その裏で映像作品として制作されることになった『数直線2021』の撮影。ノルマ以上に進んだので上出来です。

・Zoom越しとはいえ、撮影は(個人的に)楽しかった。脚本作ってる間は結構キツさが勝ってたけど、やっぱりある程度形になると感慨深いものがある。動画にして届けるまで頑張りたいね。



・こっから日記!とはいえ日中はずっと撮影だったので主に夜のことだけど。


・大豆田(以下略)6話まで見た。アマプラのキャプション曰くこれで第一章完結らしい。

・ネタバレになることは言えないけどよかった。非常に良いですね。描き方が超好み。愛とか恋とかラブとかをタイトルに冠するドラマを書き続けてる脚本家だけあってそこの心情表現もさることながら、心の機微のえがき方、切り取り方、演出の仕方が毎回すごいなあと思わされる。

・そういう言い方するわー、いやそのシチュエーションでもそういうことしちゃうよね、ってかそっち切り取るんだ!いや逆にベタな方は視聴者の想像に委ねれば十分だもんな確かに...。

・などとマジで毎回感じる部分がある。すごい。



webnokusoyaroの新譜が出るね!!!

・今週はこれをモチベに頑張るのだ。

・唯一全曲聞いてるアーティストだと思う。全曲聞いているアーティストは「好き」とかではなく「魂が共鳴」しているのではないか、なーんて言ってるインターネッツの書き込みを見て、ほよよーんと思うなどした。


・ETV特集に岸政彦が出ていた。ブルデューで100分de名著出たこときっかけでプロデューサーとつながったのかな。なんにせよ社会学にこういった角度からスポットが当たるのは一学徒としてうれしい。トンデモ学問みたいに言われることばっかりでシュンとしちゃうので...。

・最近、我々は他者の人生について断片的にしか知りえないのだ、という態度が流行りつつ?浸透しつつ?ある気がする。それこそ大豆田とわ子もシャニマスのコミュも面白さを感じる根底にはこの態度があるんじゃないか。

・断片的だからこそ、親しくなりたい相手にはその断片から想いを巡らせて接することでより近い関係になれたり、ステレオタイプにはまらない新たな一面を見つけることができたりするかもしれない。逆に気が合わなくてとかあってまだ間もないがゆえに浅くコミュニケーションをとる相手にも、「私が見ているのはその人の断片なのだ」と思うことで不用意に相手を傷つけずに済むし、それがひいては自衛につながるとも思う。

・だからと言って総体的に理解することを諦めたいわけでも、けなしたいわけでもない。全部を分かりたいと思ったことはあるし、友達がその気持ちを持っていたとしたらそれは尊いことだと言うと思う。

・ただ、なにか物事を分かる/分かったことにすることの暴力性にも自覚的じゃなきゃいけないよね、と言う半ば自戒として「断片的にしか知りえない」ということは頭の中に入れておきたいなあと個人的に思う。



・大学の必修でとる英語に"Balance"が口癖の教員がいた。生徒が座る席もシンメトリーになっていないと機嫌を損ね"Balance"といって席替えを促すし、成績のつけ方についても、私はみんなに最高評価をつけたいんだと言いつつも、大学が「英語については相対評価を用いる」と通達しているので仕方なく"Balance"と言い、学生を言いくるめていた。学生の出席が芳しくないときも、ミニテストの平均点数がやたら高かったときも、何かにつけて、"Balance"。

・何事もバランス。とても単純なことだが、難しい。でも幸か不幸か、私にはあきらめの悪さがある。

・他者をどうしてもわかりたい、でもわかることへの暴力性についても自覚的でありたい、さらにはすべてをわかろうとすることの尊さを尊重したい。

・全部、あきらめたくない。

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