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UK HipHopの歴史④|00’s グライムとロードラップ

こんにちは

今回は00年代のUK HipHopですが、グライム、
ロードラップとUK HipHopの3つに分けて書いていきます。

グライム

グライムとは、2001年にイーストロンドンで誕生した音楽ジャンルです。HipHopとは違いUSからの文化輸入ではなく、主にUKガラージ、ジャマイカのサウンドシステム、ダンス、レイヴ文化から影響を受けています。グライムもRapを中核とした音楽ジャンルですが、HipHopのサブジャンルと定義するとブチキレられます。
先にグライム文化を理解しておきましょう。

グライムの誕生からジャンルが確立される要因として考えられるのがUKガラージシーンの変化です。UKガラージは90年代前期に誕生したエレクトロニックミュージックのこと。当初Rapを用いるのは主流ではありませんでしたが、UKガラージ集団 So Solid Crew の「21 Seconds」(2001年)がシングルチャート1位となりUKガラージとRapの組み合わせがメインストリームに登場しました。

これを契機にUKガラージのクラブシーンに変化が訪れました。Rap文化の参入により、クラブに通う人々のファッションスタイルが多様化します。ですがUKガラージは元々フォーマルな格好を重要視していたため、所謂ストリートファッションに対して排他的になっていきます。

トレーナー、ジーンズ、ベースボールキャップなどのストリートウェアアイテムを禁止とするドレスコードを設け、更にギャングに多いとされた銃の所持者を排除するため金属探知機を設置するなど規制を強化しました。そこでUKガラージから離れた人々が発展させたのがグライムです。

2003年、グライムのパイオニアとして知られるDizzee Rascalが「Boy In Da Coner」をリリース。Mercury Prizeの最優秀アルバム賞を史上最年少(当時19歳)で受賞しました。このアルバムをリリースする直前に、アギアナパ事件というSo Solid Crewとの確執(メンバーのLisa Maffiaの尻を触ったなど)で6度も刺されていいます。

また、Jorja Smithの「Blue Lights」は、Dizzee Rascalの「Sirens」をサンプリングしています。こういうの気付けるとグッときます!

Dizzee Rascalの「I Luv U」やKanoの「 Boys Love Girls 」はどちらも16歳の時に作られました。「若者が若者のために音楽を作る」というパッケージは、グライムの発展に大きく寄与しました。他にも、Wiley , Lethal Bizzleなどのアーティストを通じてグライムは主流のジャンルとなりました。

 (左:Dizzee Rascal 右:Wiley)

音楽的にはBPMの違いがわかりやすいと思います。HipHopのBPMは60−100、グライムのBPMは大体140です。また、フロウにも違いが見られます。こちらをご覧下さい。

前半のJoe GrindがHipHopのRap、2分あたりからJMEがグライムのRapになります。

このようにグライムとHipHopは別々のルーツがあり進化を続けています。一括りにする事は双方の複雑且つ多面的な歴史や芸術派生の否定、文化への冒涜になってしまうかも。勉強を続けたいです。

ロードラップ

ロードラップとは、00年代中期のサウスロンドンで誕生した、犯罪、ギャング、暴力的なテーマに焦点を当てUSのギャングスタラップから影響を受けたジャンルです。現在のドリルやトラップの先駆けとなります。

ロードラップは、PDC (Peel Dem Crewの略、Peel Demとは強盗や誘拐という意味のジャマイカのストリートスラング)やSMS(South Muslim Soldiersの略)というギャング集団とGiggs、K.Kokeなどのアーティストが開拓し、グライムへの反発としても注目されます。
↓UK Gangの歴史はこちらがオススメです。

ギャング集団の中でも特に音楽活動に力を入れていたのがぺッガムを拠点とするThe peckham Boys(Black Gang)です。いくつかのグループに分かれ音楽活動を行なっていました。
↓こちらはPYGというグループのビデオです

The peckham Boys「SN1 (Spare No-1)」のメンバーGiggs(Hollowman)は、最もロードラップの発展に貢献し、初期のドリルシーンに絶大な影響を与えました。

デビュー前のSN1時代にMixTapeが10,000枚以上売れるという驚異のヒットを記録。2008年にリリースしたデビューアルバム「Walking In Da Park」は、Dizzy Rascal、Chipmunkを差し置いてBET Award for Best UK actを受賞します。

輝かしいキャリアをスタートさせたようにみえるGiggsですが、2003年に銃器の所持で2年の懲役刑が科せられたことで警察から執拗にマークされていました。ストリートで最もホットなアーティストにも関わらず、ライブ会場の予約は禁止、テレビとラジオにはGiggsの曲を流さないように警察が根回ししていたのです。

2008年、世界的に売れていたLil Wayneがロンドンでライブを行います。Giggsがオープニングアクトに決定し、チケットはSoldout。観客はLil Wayneと同じくらいGiggsを楽しみにしていましたが、土壇場でまたもや警察がGiggsのパフォーマンスを妨害します。観客は大ブーイングを起こし、Lil Wayneに対してペットボトルを投げるなど騒動となりました。これに対しGiggsは「Ban From Lil Wayne!」とアンサーしています。
(ライブ時の映像はこちら→「Lil Wayne Get Hit With A Battle!!!」)

Giggsは不当な扱いを受け続けていたにも関わらず、常に建設的であり、他を侮辱したり圧力をかけることはありませんでした。現在Giggsの参加作品は100作以上にのぼり、多くのアーティストやファンを魅了しています。

UK HipHop

グライムやロードラップという新しいRap文化が発展した00年代ですが、今までのUK HipHopの伝統を取り入れたラッパーも勿論います。

The Streetsというヒップホッププロジェクトです。デビューアルバム「Original Pirate Material」(2002年)は、Marcury Price、British Album of the Yearにノミネートされ、NMEもこの年のアルバムベスト3に選びました。

The Streetsを率いるMike SkinnerはRun D.M.C.やBeastie Boysの音源を使い15歳から曲を書き始め、22歳の時に、The Streetsとしてデビューを果たします。The Beatles、THE KINKSからBlurやArctic Monkeysに至るまで、イギリスの伝統的なロックとイギリスのヒップホップを融合させたことや、US HipHopとは違う”UK HipHop”を体現する存在として若くして大きな称賛を得ました。

Never Went to Church」(2006年)を聴いていただければ、あっ!となりますよ。「Let It Be」の心地よさが沁みます。

また、The Streetsは10年振りの新作アルバムを7月に控えています。
先行リリースとして、Tame Impalaを迎えた「Call My Phone Thinking I'm Doing Nothing Better」が公開されています。

他にもTy、Jehst、Foreign Beggars、Skinnymanや他国の音楽を取り入れたSwayやKlashnekoffなどがUK HipHopとして00年代を牽引していました。

UK HipHopの行方

グライムが誕生し、Dizzee RascalがMercury Prizeeにノミネートされた頃から、様々なレーベルはグライムMCとばかり契約するようになります。それに追い討ちをかけるように、HipHopレーベル「Low Life Records」は、設立者のBraintaxが印税未払いでオーストラリアへ逃亡し倒産します。この事をレーベルに所属していたJehstは楽曲「Australian」で皮肉っています。Low Life Recordsは多くの人気ラッパーを抱えていたので、UK HipHopシーンの雲行きは更に怪しくなっていきました。

同じくグライムシーンも停滞期を迎えます。ダブステップなどの流行と、グライムの売り出し方に苦労した為です。グライムMCは、様々なジャンルを取り入れ試行錯誤する中で、Tinchy Stryder、Chipmunk、Plan Bなど数多くのMCはHipHopに影響を受けていきました。この流れはHipHopとグライムの違いがわかりにくくなった原因と考えられます。とはいってもルーツや音楽性の違いはそれぞれにあるのでこれからも理解を深めたいと思います。

次回は、上記3つのジャンルに分けて00年代を彩ったアーティストを紹介します。↓



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