軟骨ピアスがわたしになる

わたしの初めてのピアスは、祈りに似た感情から開けた覚えがあります。

心も体もうまく動かなくて、普通でいられないことを嘆いて、「普通」でいられる他者のことを憎んで、自分が何者なのか、何がしたいのか、何をして生きていたらいいのか、何も分からなくなってしまったとき、これならなにかを変えてくれるかもしれない、と縋るようにニードルを握ったのを覚えています。



初めてのピアスはスクランパーでした(上唇の裏と歯茎をつなぐ、上唇小帯という膜のような部分に針を通します)。
口はバレにくいし、スクランパーはあまり痛くないと聞いたことがあったので、12Gのニードルを貰って開けました。実際、噂の通りそこまで痛くはありませんでした。でも、12G(2.0mm)で開けて 16G(1.2mm)のピアスを着けたので、もちろん口の中は血だらけで家族にはすぐバレました。ご飯はまともに食べられないし、食事中にキャッチはなくすし、親には嫌な顔をされるし、寝て起きたらヨダレの代わりに血が垂れてるし、初めてのピアッシングは散々でした。口にピアスを開けることなんて、世の中の大多数はしないはずです。かなり貴重な人生経験になったし、新しい世界へ飛び込んで不思議と高揚したけれど、口にはもう開けないと思います。




ピアスを好きになったきっかけは、中学生のころ好きだったバンドでした。

特にそのボーカルが大好きで、彼女がMCをしているラジオも毎週欠かさずリアルタイムで視聴していました。そこでふと聞き覚えのない単語を聞いたんです。『インダストリアル』ってなんだろう。わたしはそれが軟骨ピアスの1種であることを知り、それからラジオで聞く新たな単語をどんどん吸収していきました。彼女に開いているホールだけでなく、インターネットの海からわんさか出てくるピアスの知識を身につけていきました。
高校へ上がるころにはすっかりピアスに詳しくなってしまい、インスタの #軟骨ピアス で検索する毎日を過ごしました。しばらくするとじわじわと学校に通えなくなり、ついにホールを開けてしまったというわけです。



それから何度もピアッシングをしてきたわけですが、中学生の頃から今までずっとピアスが好きです。
つらいとき鏡を見ると、耳がキラキラしていて少し自己肯定感が高まったり、ピンタレストで同じ配置のピアスが開いている人を見つけると嬉しくなったりします。顔も名前も知らない誰かの軟骨に、ピアスが開いていることそれだけで繋がりを感じることもあります。
ピアスはファッションの一部です(人によっては自傷行為の意味を持つ場合もありますが、それは除外します)。でも、わたしにはピアスはその意味だけを持っているものではないんです。わたしをわたしたらしめるもののひとつなんです。
ピアスをたくさん開けていることは、具体的な「悪いこと」にもなり得ます。社会や道徳の規範から外れていると思う人も少なくありません。それでも、わたしがわたしである役割のひとつを担っていることは確かなのだから、その役割を果たしているひとつひとつ、ピアスも、病気も、わたしを構成するやましさも、ぜんぶまとめて肯定してあげたいと思うのです。




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