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無償・無条件の愛っていいなと思う

 先日バイトで若いご夫婦とお子さん2人が来店していて、まあ田舎特有のヤンキー家族です。母の方は心配になるほど細くて、父の方は店員にため口当たり前&威圧的な態度。退店されて片付け中に店長がやってきて、
「さっきの親、子供に『きしょいねんボケ!!!』って言ってた。子供シュン・・・としちゃって。お母さんがやで?もっと愛情もって接してあげなさいよ」
と言った。

いいな、と思わず思ってしまった。
うちもあんなのだから。笑

虐待まではいかないけれど、教育の一環として両親ともに普通に手は出されたし、暴言は当たり前だった。「きしょいねんボケ!!!」のような侮辱的なものではないけど。


 それが普通ではないと知ったのはここ数週間の話だ。20代にして母親と今世紀最大&初めての言い合いになり、顔や腕、足にけがを負った。もちろん私は手を出していないが、それを友人に話したときドン引きされた。「虐待やん」とまで言われ、そこで初めて「これって普通じゃないのか」と気づいた。いや、さすがにこの怪我はやばいと思ったが、教育の一環として強制的に外に引っ張り出されたり蹴られたり、というのは昔あって、それを暴力や虐待と思ったことがなかったというか・・・。
 だから店長の言葉がより響いてしまった。「子供だから」という端的かつ理由のない理由で絶対的に守られているその感じがうらやましい。
別に守られていないわけではない。むしろ過保護なぐらい守ってくれている。心の底から感謝をしているのだが、まあわがままを言うなら幼少期、もっとわかりやすい形で愛情が欲しかったし、甘えたかった。


    そんな経験があるからこそ、友人は本当にありがたい存在だ。
仮にAとして、Aは私に何かあると必ず「あんたは悪くない、よく頑張ったよ!」と言ってくれる。この言葉が本当に救いだ。
 もともとは相談などしない主義だった。自分の頭で何パターンも答えを考えて、それでもわからなかったときに相談するので、相手には解決策を求めてしまう。しかし、大体相手の解決策なんて一度自分で考えたことだ。だからそんなことなら相談しない方がいい、と思っていた。
まあ、なかなかにクソだ。相談して相手の時間を奪っていながら、「解決策ないのか、無駄だったな」なんて思われている。しかも解決策なんて何でもよくて、結局は自分の行動と気力次第なのに相手に何とかしてもらおうとする傲慢さ。
話なんて聞いてもらえるだけありがたいのに。
 だから今では友人に相談する際は、結局は自分に問題があると分かっていても、それは心のうちにとどめている。自分がわかっていればそれで充分だと思うようになった。もちろん解決策を提案してくれたり、一緒に考えてくれるとものすごくありがたいが、慰めてくれることを含めそれは当たり前ではないと思うようになった。



 「子供だから」「友達だから」「家族だから」「恋人だから」
と言って無償・無条件に愛を与えてくれる存在は貴重だ。
理詰めされて生きづらくなっている世の中で、こんなに温かい愛情だけは絶対手放したくないし、私自身も与えたい。
(そして特殊な環境に身を置いている私は、そのような愛情が不足しているし、感情としても欠落しているのだろう。)
もっと友人や家族を大切にして、愛を与えられる人間になりたいと思いました。感想文&決意表明でした。笑
(終)




一応言っておくと、親は恨んでません!!
ここまで苦労して育ててくれたこととっても感謝しています!!!
大好きなのは変わりません!!


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