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休みの時に仕事の話

聞きたく無いわって話だろうと思う。

昨日
あ、もう関わってはいけない。
仕事は引退だと思った。

簡単な話。ゴミ捨てをお願いされた。
休日出勤されますよね?と。
明日ゴミ出しの日なのでお願いしますと言われた。

とりあえずイエスを言ったが撤回した。
「ごめんしんどい。明日必ず出勤できる自信がない」
と言う。実際ちょっと疲労感が半端なかった。

撤回の理由はすぐわかってもらえる世代と
え?そんな事?って思う世代が
分かれると思ってる。

会話はこれ。

相手「明日休日出勤されますよね?ゴミ捨てをお願いします」
自分「良いけど。そもそも火曜日も自分が出しておいたけど?」
相手「あーありがとうございます」

出典 うちの会社

これで引退だと思った。

回答をさっさと書くけど、ゴミ捨てを前も忘れていた。そして今回も忘れていた。要するに責任というより「ハタと思い付いて、いるなら頼もう」という事。たかがゴミ捨てなのだけど、仕事に対する責任とか管理を完全に捨ててるな。ゴミは捨てないけど。ゴミ捨てだけじゃなくて全体こんな感じ。

仕事をしていて世代ギャップが
中途半端な個の重視?なにかわからない変なルール。

アメリカで働いた事はない。
なんとなくのイメージで個人の与えられた仕事をどうぞ自分の管理でやってねという一見シンプルなんだけど、これは管理者からすれば「いつでもやれていなければ馘だぞ」という脅しでもある。

じゃあ日本ってどう?となると、運良く?悪く?まだチーム感覚が有るから馘にもしないし、みんなで気をつけよう!が働く。個人で管理して個人でやります。与えられた仕事(のみ)をします。と言いながら責任は全体に押し付けている事に誰1人気づいていない。うまくおしつけられない人がどんどん疲弊する構図。あからさまな営業が無い職種だからってものある。

自分は運よく個人で完結する仕事が多かった。だからこそチームワークが大事なのがしみた。急な出来事で自分の能力を超えている。どうしよう・・。そんな時助けてが言える空気は大事だと思う。

正確に言えば助けてと言わなくても日常のホウレンソウでそれが成り立つ環境があったし、それを維持していた。

”やれていない”より”やれた”を報告を先にさせていた、その後手つかずだったり遅くなっている話をする。そうすると他の人に振る事ができるし、その仕事でそんなに時間がかかるのか?となれば、聞き取りや、やる気が落ちているという話で個別相談ができる。
そしてなにより良いのが、頑張った人がちゃんと可視化する事だった。
手伝うけどそれが見えないとインセンティブが発生しない場合、モチベーションが下がり、何より手伝えるほど有能な人材な訳だからあっという間に居なくなる。

同じように例えばゴミ出しをしたかどうかの確認もする。簡単な案件はイレギュラー対応があった場合報告するが普通にあった。「誰かが捨ててくれてます」。

今のネオ個人主義の場合、ゴミが無い事もふーんで終わり、管理者は当然担当が捨てていると思っているし、それを特に捨てたかどうかを聞きもしない。たまたま気付いた人が片づける。担当は誰か知らんけどごみがないからラッキー。担当が無責任でも表面化しない。運悪く誰も捨てなかったらそこで「あー!」となるだけ。忘れた担当に再発防止策の提出もさせない。

でもやっぱり自分の与えられた仕事だけすればよいという意識はそのまま。
最悪なのが本人が気が付いていないが、与えられた仕事を勝手に本人が優劣つけてやりたくないものを放置という。

その管理者も謎成果主義とネオ個人主義のコラボ。要するに職場じゃなくてなんとなくサークル仲間?友達感覚。友達だと気を遣うし、あれこれするけど、そうじゃない只の人はどうでもいい。どこかふわっとした責任風。
優劣つけて評価したい人だけする。自分が評価したい事だけする。

これが主流になりつつある世の中。
自分のような世代の責任者の集まりで話題で出る都度答えが無くて
頭を抱えてしまうのがこれなのだ・・・。

管理をお願いして、
上の様な案件(管理にムラがある事)
を何度もそうじゃないでしょ?と説明するけど伝わらず、
とうの管理者は逆にその責任は上がいるでしょ?と、
どこか他所事に言い返される。



馘にするぞなんて言えばパワハラ認定。
でもね、当事者から個人主義成果主義でお願いしますって話でしょ?
成果出てないって話じゃん?
なのにパワハラ??


もうね、自分は無理だってお手あげってなった。



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