神奈川県を出ない旅❼(哀しすぎる旅)
さてこの旅の最終日は曇り空の少し肌寒い日となりました。
ここでこの旅のお話も終わります。
やっと温泉地らしい天候と雰囲気に
気分が上がります!
温泉地が晴れってなんだか変な気がしません?
ちょっと面白い形。
道路も温泉案内なんだけど
予約していた場所に向かいます。
ボランティアガイドさんによる
2・26事件の現場の案内でした。
簡単に言えば2.26事件はクーデターだったのですが、その暗殺されそうになった一人は湯河原でのんびり休暇中に襲われたというお話。
その舞台がこの場所でした。
看板に目をやる人はほぼゼロ・・・(・ω・)あら
民家に見えますが、旅館の別邸という事で、一組が長期滞在するための
お宿。残念ながら事件当日火災で焼失しており(クーデターを起した側が
火をつけて逃走)建て替え直しました。2階は新しく造られたものの、1階の間取りはほぼ同じという事で、想像しながらお話を聞いていました。
世の中がどんどん地方と東京・資産家と貧しい農民と、隔たりが大きくなってきて、そんな中で若い地方出身の将校は悩みます。
更に天皇の周りは私利私欲の塊で、天皇がこのままでは危ないという気持ちと地方の貧しい農民の救済を掲げ、クーデターで政権を覆そうとしたお話。
若い方の切ない生き様を知る事となりました。
さて、襲われた方をほんの少しだけご紹介。
襲われた方は牧野伸顕伯爵・・誰やねん。
簡単に言うと麻生太郎さんのお母さんのお父さん。おじいちゃんです。
あまりにプライベートな内容のお手紙だったり、住所もそのまま記載があり、写真撮影不可という理由も納得でした。(電話番号まであるものもあったので)更に処刑された事もご遺族の方はそっとしてほしい歴史。
そうして次の行き先向かいます。
大きな自動車が通る道から一本入る湯元通りを散策します。
何故?って位
人が居なくて驚き(車道には沢山いるのに)
温泉をくみ上げているからモクモク
道なりに歩いていくと・・・
実は人が多いのと宿泊客じゃないので写真を撮る事はやめたのですが
伊藤屋旅館と富士屋旅館は有形文化財として登録されており、
どちらも宿泊できます。
ガイドツアーで古い旅館を巡るツアーもあり、次回はそれもアリかなと。
さて、到着した先は湯河原美術館。
が、このままでは湯河原で宿のご飯以外何も食べない事になると、
目いっぱい検討した結果のランチ。
さて、ここでは湯河原にてアトリエを公開している平松礼二さん。
平松礼二さん・・・(・ω・)誰って人多いのでは?
文藝春秋の表紙絵の人って言えば
ああああってなる人も多いのでは?
今も使っているのかは不明だけど、道具類が萌。
原画も間近に拝見できます(自分の影が映るし、ガラス越しでもない)
筆類を見て、ここからあの絵がと思うとへええええってなります。
お庭をくるりと回ると、梅の花。
そして、
密やかにこの日別メインテーマの場所にやってきました。
湯河原総湯・・・
またも総湯(当たり前じゃん温泉地なんだから)
じゃないんです。
万葉公園の端にこの総湯は作られたのですが・・・
なんでしょう、
個人的意見としては微妙(あくまで私意見)
何故ここまで微妙を連呼するのか・・・
答えはこれ。
この万葉亭という茶室、堀口捨巳さんの設計なんですよ。
なんですよ?
ですよ?
で・・・
堀口捨巳さんの代表作の一つが先日クドイ位記事にした八勝館御幸の間
最近の記事ではラララさんが記事に上げている江戸東京たてもの園にある
小出邸(記事には小出邸は無いです)
近代建築との融合なのか?もなんだけど。
観光客の方にお茶を出すための座布団も
もう少し雰囲気があるものが良かったかな?
お庭も荒れててなんだか切ない。
なんと茶室が事務室に・・・( ;∀;)
奥の掛け軸がむなしい。
トドメがこれだったんだよ・・・
気を取り直してお茶をいただいておりました。
次々と出されるお茶は(ダマ)
気を取り直してどんな造りなんだろうと見学。
もう、物の価値を知らないって怖いのがこれ。
この木、この柄をきれいに出せる職人さん居ないんですよね。
切ないので一見よさげに見えるように写真をとってみた
実験的な建築なんですが・・・
寒くなって、焚火祭りの焚火にあたりつつ、帰る為の電車の時間などを
調べておりました。
名古屋に戻るとなんと雪!
という、最後がなんだか切ない話になってしまった。
例の茶室ですが管理にも費用がかかるし、いろいろあるのもわかる。
でもね、看板に「現存する数少ない建築」って書いちゃう訳で。
せっかくだからなんとかならないのかなぁ。
今までの旅の様子はこちらから