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円筒分水は本当に水争いを解決できたのか?

みなさんの好きな円筒分水は何ですか?
僕はやはり自分の地元、二ヶ領用水の久地円筒分水です。川崎の小学生は社会科の授業で勉強して、遠足で訪れます。(最近もそうなのかは未確認。僕は40年前に行きました。)ここでお弁当たべるんです。

円筒分水の機能は3つ。

  1. 正確な分水

  2. 分水の様子がだれにとっても一目瞭然

  3. 長期間にわたって安定して分水できる

円筒分水の歴史や仕組みは以下の記事を見てください。

社会の授業では、この円筒分水によって水を巡る争いごとがなくなりました、と習ったと記憶しています。

でもね僕は納得がいきませんでした。争いの解決に寄与するかもしれないけれどこれだけでは解決できないだろうと。

分水割合はどうやって決めるの?

円筒分水はコンクリート製、これが安定した分水を実現しています。
円筒分水以前は木枠で分水していました。壊れたり、勝手に割合を変更したりといったことも起きていたようです。

一方で、ひとたび作られてしまえば分水割合を変更することができなくなります。つまり、建設前の割合の決定がとても重要になります。

分水割合は流域の灌漑面積で決めたようですが、円筒分水完成後にも新田開発は行われるはずで、ある時点で合意が得られても、将来、問題が起こることは有りそうに思えます。

分水割合の決定はスムーズに行われたのでしょうか?割合が固定化されることを嫌って円筒分水建設に反対する人はいなかったのでしょうか?

水がいっぱいあれば割合がどうあれ争いはおこらない

そもそもなぜ争いが起こるのか?
それは少ない水を取り合っているからです。水が余るほどあれば割合がどうであれ争いを起こす理由がなくなります。新田開発も問題なし。

前掲の川崎市教育委員会の円筒分水の解説文の中に以下の記載がありました。

 この久地円筒分水を設計したのは、当時の神奈川県多摩川右岸農業水利改良事務所長であった平賀栄治(1892~1982)である。平賀は、円筒分水の設計・建設と同時に、多摩川の支流で、大雨になると二ヶ領用水に流れ込んで洪水を引き起こしていた平瀬川の改修にも取り組んだ。平瀬川が多摩川へ流れるように流路を変更し、平瀬川と二ヶ領用水がぶつかる地点で、二ヶ領用水の水を平瀬川の下に潜らせ、上流から流下した用水が噴水のように噴き上げるのを利用したのが円筒分水である。平賀は、円筒分水のほか、二ヶ領用水の2ヶ所の取水口のある、多摩川の上河原、宿河原の2つの堰堤の設計・建設を行うなど、多摩川の治水に尽力した

川崎市教育委員会

僕の想像ですが、行政側は分水割合の決定過程で周辺河川の治水計画も示し、二ヶ領用水に安定かつ豊富な水の供給を約束した。実際にそれを実現した。だから争いごとがなくなった。

円筒分水は大きな治水計画の一環だったんだと思います。治水がないとそもそも円筒分水の機能は実現しません。

円筒分水は治水のシンボル

治水は人々の日々の生活の中で実感しづらいです。注目される時は洪水や渇水が起きたときだけですね。
そこに円筒分水の役目があります。

中心から湧き出る水のさまから安心を、仕切りによる正確な分水から誠実さを、円という形状から調和・永遠といったイメージも想像させシンボルとしては完璧だと思います。当時、スマホとSNSがあったらたくさん投稿されたでしょうね。

みなさんもぜひお気に入りの円筒分水を見つけてください。
訪れる際はお弁当を忘れずに!





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