学校にはどこまで生徒の素行不良の責任があるのか
日大アメフト部員の違法薬物使用に関して、マスコミは、北畠成文という実際に法を犯した人物よりも、一貫してこの問題は日大が悪いという報道姿勢を取っている。
仮に大学の寮内で起きたことだとしても、その対応に問題があったとしても、成人の学生が犯した犯罪に学校にどこまで責任があるというのか。これがアメリカだったら、単なる一学生の麻薬所持事件として片付けられて、学校が連日マスコミに叩かれたり、学校が謝罪するなんて考えられない。
子供や学生の人格形成や素行の第一義的な責任は家庭にあり、学校は勉強を教える場所にすぎない。もちろん集団生活のための規律は設けるけれど、校則や、ましてや法律を破る生徒の責任まで学校が負いきれるはずがなかろう。
いじめ問題も同じ。いじめで自殺者などが出ると、マスコミはすぐ学校や教育委員会を叩く。今の日本は社会全体として、生徒の全人間的教育を学校に丸投げして責任転嫁している。「いじめ」なんていう言葉で誤魔化しているけれど、その内容は脅迫、強要、侮辱、器物破損、暴行、傷害という立派な犯罪だ。仮に同調圧力があったとしても、そんな犯罪行為を行うのは、子供が幼い頃から物事の善悪を親から叩き込まれていないからだ。
だから、そんな犯罪行為をする子供を育てた親が一番悪い、という論調をマスコミから聞いたことがない。マスコミは学校ではなく、もっと罪を犯した本人とその親の責任を追求すべきだ。でもそれをやらないのは、おそらく報道に携わっている大人たちが正に、自分の子供の教育に責任を負っていないからではないだろうか。