EVは本当に環境に優しいのか
日本では電力の73%を火力発電(欧州は4割程度、アメリカは6割)に頼っているのだから、「電気自動車」と言っても実質的には石油や石炭を燃やして走っているのとそれほど変わりない。火力発電比率が欧州並にならない限り、決して「環境にやさしい」とは言えない。
加えて、EV1台分のバッテリーを製造するには、8-12kgのリチウム(オーストラリア、チリ、中国)、10-20kgのコバルト(コンゴ)、30-50kgのニッケル(インドネシア)、40-60kgのグラファイト(中国)が必要と言われている。それらの材料を掘削地からバッテリーの生産地(中国)まで運搬するのにも大量のエネルギーを消費し、CO2を発生させる。さらに、バッテリーを製造する工程では大量の水と電力も必要とする。
これら原材料も化石燃料と同様に無尽蔵にあるわけではないし、産出国も限られているから新たな地政学的リスクや紛争も発生している。実際、天然資源の利権を巡るコンゴ共和国の内戦と虐殺は酷いものだ。
EVは走る際にCO2を排出しないというだけで「環境に優しい」と考えるのはあまりにも単純と言わざるを得ない。電力やバッテリーの生産を含めた総合的な環境インパクトや社会リスクを考えたら、本当に人類がEV化に全速で舵を切るべきなのかには疑問がある。
日本の自家用車がすべてEVになったら、原子力発電だと10基、火力発電だと20基程度に相当する発電所の新設が必要になるという。膨大な充電インフラの整備も必要で、そこまでの送電ロスも大きくなる。膨大な設備投資と資源と労働力が必要となり、その社会インフラの建設の際に膨大なCO2を発生させる。
EV化のために新たな火力発電所も原子力発電所も建設すべきではないとしたら、新たな電力増は自然エネルギーによるべきだろう。だとしたら、ガソリン車からEVへの置き換えは、自然エネルギー発電の増加とペースを合わせるべきだろう。それはゆっくりとしたものにならざるを得ない。
そう考えると、新たな社会インフラを必要としない、「燃費の良いガソリン車」、すなわちガソリンハイブリッドが当面、いちばん環境に優しいと言えるのではないだろうか。
ハイブリッドは、完全なEVよりもバッテリー容量が数十分の1で済むというメリットもある(プリウスのバッテリーは3.6kWh、Tesla Model 3は54〜82kWh)。バッテリーが小さい分、天然資源を消費せず、製造過程でCO2を発生させないし、使用を終えたバッテリーの廃棄の量もはるかに少ない。
ほとんどの海外メーカーは欧州の独善的な方針に迎合して100%EV化を宣言する中、トヨタが世界中からEV化に積極的ではないと批判されてもハイブリッドにこだわっているのは、総合的に考えたら何が環境と社会インパクトが小さいかをちゃんとわかっているのだ。
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