「12月の珈琲 Ethiopia:矢印のゆくえ」
命をいただく。
Ethiopia:矢印のゆくえ
しずくのように清く柔らかい
それは錯覚を覚えさせるほど
美しく研ぎ澄まされていた
息をひそめ、気配をうかがう
全ての思いを一点に込めて
最初で最後の矢をはなつ
儚く溶けていく酸味
朔日参りに訪れた神社のそばには、歴史館があった。
何度か、訪れている神社なのに、今まで、その歴史館に足を踏み入れたことはなかったが、あの日はなぜか、そこの扉を開いたのだ。
そこには、その地の古いモノが展示されていた。
遺跡の発掘物の土器や瓦など。
そのなかに、ひときわ目を引く矢尻があった。
それはとてもうつくしくて、はじめは、石でできた矢尻とは気づかなかったのだ。
とても薄く、水のように透きとおる。
手で触れたら、ぷにゅっと音がしそうなほど、それは、水のしずくのように清く柔らかかった。
いつか、この感覚を珈琲で表現したいと思った。
そして、この感覚を表現するなら、あの生豆だと思った。
写真作家智心から、2022年写真詩集「つなぐ」のテーマは「つながり、食、つなぐこと」ということで詩を書いてほしいと言われたとき、この矢尻のことを思い出した。
わたしが生きるずっとずっと前に生きていたヒトが作った矢尻。
その研ぎ澄まされた美しさや水のような柔らかさには、命をいただくにあたり、獲物を敬う気持ちや狩りの研ぎ澄まされた瞬間が込められているように感じた。
命をいただく。
その命で己の命をつなぐ。
獲物を見つめ、息をひそめて、気配をうかがう。
全ての思いが矢尻の一点にこめられていくことがわかる。
今だ。
最初で最後の矢が手から離れる。
獲物に矢尻が食い込み、命は儚く消えていった。
その儚さに清く柔らかい酸味をもつEthiopiaを思った。
この感じを表現するなら、絶対にEthiopiaだ。
そうして、12月の珈琲「Ethiopia:矢印のゆくえ」が生まれたのだ。
写真→写真作家智心撮影