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「2024年1月の名前のない珈琲 Colombia:カタチにならない言葉たち」
見えるカタチは違えども、月は変わることなく、ずっと丸い。
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1月の名前のない珈琲:Colombia
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1月11日に訪れた2024年初めての新月。
その数日後の夜に、自転車を漕ぎながら見た三日月はとても印象的だった。
いや、光を放つ三日月が印象的だったのではない。
むしろ、本来なら、影となり見えない部分がうっすらと見えていることがこころに残った。
うっすらとしたその輪郭は、目に見えている三日月とつながっていた。
見えるカタチは違えども、月は変わることなく、ずっと丸い。
そのことがよくわかる夜だった。
2024年1月は、言葉にしたくてもできない思いを何度も何度も感じた。
書いては消し、書いては消しを繰り返し、結局、何も書かずに終わる。
見えている部分よりも見えていない部分の方が多くあるのだということがわかるから、何も書けなくなった。
カタチにできないというよりはカタチにならないといった方がしっくりくるのかもしれない。
「カタチにならない言葉たち」
2024年1月に感じた表に出ることのない言葉たちは、わたしのココロの中ですべて消えていった。
それは、2024年1月の名前のない珈琲に感じた味わいに似ていたと思う。
苦みはあるけれど飲んでしまえば、すっきりと消えていく名前のない珈琲。
カタチにならないことはカナシイことなのか。
1月もあと数日という日に見た月がその答えをくれたように思う。
1月30日の朝、自転車を漕ぎながら、西の空に見つけた月。
それは、三日月の日に見た本来なら見えないはずの部分だった。