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「2023年9月の名前のない珈琲 謎は謎のまま」
大きい木より小さい木になるいちじくの方がおいしいよ。
❏❏❏
9月の名前のない珈琲:Nicaragua
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秋になると、祖父が、いくつもの袋にいっぱいの柿といちじくを持ってきてくれていた。
たいていの柿は、すでに熟していて、袋の口を開ければ、すでに、とろりとあまい香りがしていた。
手にとってみれば、皮の向こうの果肉の感触もやわくて、あぁ、これは熟している証拠に、種のまわりに黒い模様が出てきているにちがいないと思った。
わたしが大好きなとろとろの柿に、思わず、にやりとした。
それから、いちじくの袋を開けた。
いちじくは、すぐに傷んでしまうせいか、熟れるよりほんのすこし手前の実が並んでいた。
柿は包丁で皮を剥かなければならないけれど、いちじくなら、おしりから指でその実を割れば、すぐに食べられる。
秋の味覚を待ちきれないわたしは、いちじくを食べることを選んだ。
どれにしようかな?
迷っていると、その様子を見た母がわたしに言った。
「大きいいちじくの木より小さいいちじくの木になる実の方がおいしいよ。」
祖父の家にあるいちじくの木を見たことのなかったわたしは、土手のようなところに並んで植ったいちじくの木を思い浮かべた。
大きい小さいといっても、どれくらいの差なのだろうか。
母が子供の頃からあった木なのだろうか。
小さい木が大きい木の背を抜かしたりしていないのかな?
いくつもの疑問を思い浮かべながら、袋のなかから、いちじくの実をひとつ選び、その実に口をつけた。
あ、この実は大きい木のものかもしれない。
皮の近くを食べたときに、口に残るすこしの青さにそんなことを思った。
それでも、祖父のいちじくはあまかった。
きっと、母には大きい木のいちじくか小さい木のいちじくか、その違いがわかるのだろう。
大きないちじくの木も小さないちじくの木も見たことのないわたしには、その違いは、カタチを持った実感として感じることはできなかった。
今でもあるのだろうか、2本のいちじくの木は…。
9月の名前のない珈琲Nicaraguaを飲んだとき、そのさわやかな青さに、祖父宅にある2本のいちじくの木の話を思い出した。
なぜか、確認せぬまま、謎になっている違い。
それが歯がゆいという感覚は全くなく、むしろ、答えを知らなくともいい気がした。
「謎は謎のまま」
そんなことがあってもいいのだと、9月の名前のない珈琲がわたしに教えてくれてるような気がした。