駄文
何かを書くことにしてしばらく放置していたけど、よくわからないものを作ることにした。何かしらを書くには自分自身の創作意欲や想像力、体調が大きくかかわってくるのだと思う。今回これを書くことにしたのも、今やっていることもどれもこれも過去に受けた傷をいやすためにできることはないかと考えた上での手段の一つである。何かを書くにしても書くものが必要だ。そのためには何を書くか考えなくてはいけないが、今はそれを考える力も今はなくただぶつけるがままに書き込んでいる。
一つ、過去に受けた傷についてあえて思い出し、終わったことと認識させようと思う。自身が受けた社会からの洗礼、自分にとっては途方もない事で強い不安をいまだに残すものだった。さかのぼると3年前の話になる。
当時私は派遣での仕事についており、業務の内容になれてきていたところなのだが派遣元がその提携先との関係がなくなるという影響もあり、同じような業務内容で現在よりも将来性がすこしでもある企業を探していた。当時から変わっていない事だが今の力を生かせるかどうかも考えず、趣味に没頭できる時間を残しつつ生活できることが必要でありその時までは当たり前のようにできていた。
新しい会社へは別会社への引き抜きで入社、自分自身は全く意識していなかったがある程度は能力を買われていたのだと今になって思う。形として面接も行われたがほとんど顔合わせにちかく、立場も把握してなかったこともあり自然体で臨んでいた。この時点では何が起こるかもわからず、ただステップアップするだけのものと思っていた。そして、翌月の1日からその職場で働くことになり解散。ある程度フェイクを交えてとなるがこの先は起こったことを思い出しながら時間の流れに合わせて書き込んでいく。
新しい職場で仕事が始まってからの扱いは新入社員に対する扱いとは別である程度力がある者に対してと同じものであった。これはある程度はいる前から予想はついていたので、入ってすぐからきっちりその会社のルールを覚えていこうと行動していた。その会社ではマニュアルが先に覚えるものとしてあり、それをきちんと覚えているかどうかを何度も試された。もちろん最初は何度もまちがえそのたびに厳しく指導された。それでも一部言葉遣いにかなり違和感を覚えることが何度もあった。その当時は入ったばかりなので仕方ないことと思っていた。入って3か月たったころにはそのマニュアルに対する指導はへり私の業務に対するものに切り替わっていった。
気が付けば何人か新人が入ってそれ以上の数の人が退職していた。前職からそれ自身は珍しくない事と考えておりまだ危機感も全くなかった。長くその企業の近くにいた女性が入社したこと、私より強い能力を持っていたこともあり強い期待は薄れその新人に対してそそがれるものになる。それなりにプライドはあるが力の差がわからないほど馬鹿ではないので傷つくことはなくやるべきことをきっちりやろうと思っていた。しばらく別部署でお互いの成績を見るだけの日々が続いたが年が変わった頃人事異動が行われた。それによって私はその方の下につくことになる。
その女性と一緒に働き始めてからその人の力を実感し動きをまねて自分自身の力にしようとしていた。そのころからいわゆるシフトに疑問が混じり始める。自分の部署だけでなく他の部署においてもワンオペが横行し個人の力だけではどうしようもないものが発生するようになり始めた。私にも与えられる課題の量がとてもおおくその日その月ではさばききれないことが増え始めた。その中で最も厳しいことが棚卸だった。最初はある程度人数がある状態で行われていたが、ある月からはすべて一人で行うことになった。数千ある商品が正しいかどうかを一人で確認するということもありかなり大きな負担がかかるようになり始める。業務時間は10時から22時もしくは23時頃終わるようになり疲れ果てて帰ったころには0時を過ぎていることはよくあった。趣味でやっていた事にも時間が取れなくなりはじめTwitterとうでの文句がおおくなる。ネットゲーム内でもそれなりに愚痴が出るようになり始めていた。
入社して1年がたつ頃には一緒に仕事をする機会も月の数日だけとなりほとんどをワンオペ、もしくは臨時のアルバイトが入ったりすることばかりとなった。私に対してはそのころから同じ部署内、他の部署、上長からあまりに厳しすぎる指導が入るようになりはじめた。もちろん指導に当たることをしてしまった自分が一番悪いのはわかっている。ただその時の言葉がおおよそ人に対してぶつけていいものではないものになった。詳しく例示はしないが人格否定にあたるものがほとんど。私自身も追い込むようになり始めて毎日のように飲酒をするようになる。
それでも私はやることだけをできる限り意識して取り組むようにしていたが、客の目の前でも激しい言葉が浴びせられるようになる。日を改めてこられた時には心配されることが何度もあった。その場では癒されることもあったが誰もいなくなってしばらくしては電話で激しい言葉を投げつけられる。どんどん追い込まれて、帰ってゲームをしながら飲酒という生活が定着していく。何のために仕事をしているのかどんどんわからなくなっていった。
そしてまた数か月がたってから、女性社員がやめる事になりまた人事異動が行われる。そこから新しいところに行くことになりワンオペの問題がかいけつする事になるが、労働時間が1日1時間伸びてしまう。10時からほぼ毎日0時を過ぎての帰宅がほとんどになる。そのころから面接した方とは別の上長が常に横にいるようになり接客毎、接客中でも常に監視、指導・・・というより人格否定が主で行われるようになった。もう怖くて仕事も手につかなく全く集中ができなくなりケアレスミスがどんどん増えていく。それに合わせて激しい罵声も増えていく。帰ってからも全く時間がなく酒に溺れるようになった。
それでも私はなんとか生きるためにも仕事をつづけた。最終的にやめる直前には会社を変えることも考えていたが・・・それは後程。厳しい時間も長くは続かないだろうと思っていたが、体には限界が出始めていた。定期的に健康診断が行われるというのはよく知っていて、初めて受けることもあり新鮮な気持ちで受けていた。診断の結果肝臓にE判定が出ており、かなりの負担がかかっているのが目に見えてわかった。そのためその日から全く酒を飲まない生活に切り替えてしまう。私が酒を飲み始めたのは日々のストレスが原因だったのにそれを無くしてしまう。
酒を飲まない生活続き1か月たつ頃、本当にある日気が付いたがそれよりも前からおかしかったんだろう。その夜も営業時間が終了してからも作業を続けていた。以前より規模が大きくなり棚卸するものも倍以上に増えていたこと月の終わりも近いこと、何よりも誰もいないこともあり比較的自分のペースでできるタイミングだったため、割と集中ができていたのだと思う。気が付いたときには何度も死にたいといいながら作業をしていた。今日はもう限界が近いと思い早めに切り上げて帰宅。休めば大丈夫だろう。
気が付いてないだけで本当は毎日言っていたのかもしれないけど、それからずっと一人の時にはぶつぶつ死にたいなど言いながら作業をすることが多くなっていった。日中人がいるときも何ぶつぶつ言ってるんだ集中しろなどと言われることもあった。このころはもうおかしくなっていたのだと思う。ここまで来てもやめずに仕事をしていた。ただ同時にもう限界が近いと考えていたのもあって近々仕事を変えようといろいろ探し始めていた。
休日を挟んで次の日に出勤するとき玄関まで向かったが玄関前で座り込んで動けなくなってしまった。このころから記憶があやふやなので当時の記録をみての話になる。
出勤ができなかったことをTwitterにのこしてその日は休む。翌日も出勤をせずに電話で休むことを伝えていた模様。次の日はメールで風邪で休む旨を伝えるとTwitterには残していたが実際には退職を伝えていた。やめるまでに少し出勤をしていたが、それでもだめで最後には出勤するぐらいなら死ぬと伝えるまでのことをしてしまう。それでやっと解放されてゆっくり過ごすことができるようになる。
1週間はゆっくり過ごし、また次の会社に行くために何社か面接をする日々が続いたが、ある日突然精神科外来を訪れる。そこから薬を毎日処方されて日々を過ごすようになった。同時にヘルニアも患っておりそれの治療も行っている。10月からは抗うつ剤も処方され一緒に飲むようになる。このころからほとんど何をしていたのか覚えていない。ただ残していた写真を確認してみれば、処方以上の薬を飲む生活が続いていたようだ。異常行動としか思えないことが起こり始める。人間関係が崩壊するようなこともあったし、いろいろごみを処分するのだがその日に準備したものがごみ袋16袋ぶんだったりした。極めつけはバイトを始めて1か月もしないで急にやめること、収入が全くないのに大型の高性能PCを購入したこともある。
覚えているのはある日親から最近様子がおかしいから薬を変えてもらってはどうかと言われたことから。その日のうちに病院へいき薬を変えてもらってその夜から飲むようになる。次の日から何で薬をのんでいるんだろうと思うようになり始めるが医者の言う通り処方通りに薬を飲む生活が続くようになる。20年の5月に入った頃処方薬依存について知識を得て、その日から薬を無くそうという生活がはじまる。今も苦しみが続いているのだがこの頃にはやったことを比較的覚えているようになった。
やめてから2日経った頃から異常に肩がこるようになってゲームをしていられないようになる、そして下痢をするようになる。これを書いている頃になっても下痢は続いている。4日経った頃には布団で日々を過ごすようになり、睡眠がとれなくなった。
1週間たつ頃には肩こりは治まりつつあったが画面を注視していると気分が悪くなったりデスクトップの画像を見るだけで調子が悪くなったりするようになる。しばらく毎日変更を続けて乗り切ったが今も見ると調子が悪くなるのではという感覚が抜けない。
2週間たったころ寝ることが難しくなり、毎日4時から6時のころに寝て、起きるのは13時過ぎてからというようになる。あまりに生活のリズムがおかしいこともあり、最近も飲んでいるが睡眠薬だけを飲むようになる。
ただそれもしばらくしてから治まり始める。1か月たつ頃には肩こりは気にならないところまで、画面を注視できる時間が少し伸びてデスクトップ画像は頻繁に変えなくなった。このころから何かをして遊ぶことができると思えるようになった。
6月の終わりから今にかけて。いまだに何か仕事をしたりすることができるようになるには程遠いと感じているが、毎日何かをして遊ぼうと思えばできる。人に合わせて何時間も動くことができるようになる。何かしたいことをしている時を除いて、好きな時間に寝れるようになった。やっと日常が戻ってきたと思う。今は薬を飲んでいたころと比べたらはるかに調子がよく、やっていて楽しい事がふえた。それでもたまに死にたいとおもったり、恨みつらみにとらわれたりと安定まではまだまだかかりそう。今書いているときは、かなり調子がよくそれなりに長く遊んだ後に本来なら寝るところ、思い付きで始めてここまで書き上げることができるくらいである。
ここまで書き上げて、これから先のことを考えようとおもったが、まだ治り切っていなくてタイミングを付けずらいというのもあるため、もう少しゆっくり休むことにした。ほかの物のせいにすればウィルス騒ぎを理由にすればいいと思うしね。
調子がよいのは間違いない・・・ここまで治ってもなお思うことが、長生きがしたくないウィルスにかかって死ぬほうがいい、何もできない自分が惨め。それと一緒に早く治りたい、仕事をしたい、勉強したい。と時間ごとにかなりぶれがある。
医者も全く教えてくれないし、この先の自分が全く想像できないけど本当にこれはこのまま治ってくれるのか。それともまだ治っていないのに勝手に薬をやめただけなんだろうか。治ってくれと思いながらも悪いように考えてしまう。
なぜか今に至るまで死にたいという衝動に抗い続けてきたので、これからも耐え続けるのかそれとも耐えきれずに自殺してしまうのか、欲望に負けて薬に手を出してしまうのか。今も不安を感じながら生活をしている。いつかこういう症状や気持ちから逃れられるのだろうか。私の未来は霧に包まれたままで見通しがきかないままである。
ここまで書いたところである程度満足したので終わる。また気持ちを吐き出すために書くのかどうか・・・。推敲はしない。