抽象表現について
デザインフェスタギャラリー様主催
「抽象表現展」
2023.3.26~2023.4.2
会期を終えました。
抽象画にフォーカスして展示に参加したのは初めてだったかもしれません。
これまでずっと自分は抽象画を描いているものだと思っていたのですが、今回の展示に参加するに至って考えてみるとそうではなかったようです。
冷静になってみれば木々や花は具象物だし、何より自分の心象風景というか、そういうものが絵の中に世界として空間になって落とし込まれている時点で、それは抽象画には入らないんだなあと。
抽象表現展と聞いて勢い良く手を挙げてはみましたが、見返すとはっきり「抽象画です」と言える作品は思っていたよりありませんでした。
お恥ずかしながら、私にとって抽象画はその瞬間のパッションだと、それ以上のことはあまり深く考えて来なかったのです。
では私の描く抽象画とは?と自問自答してみたとき、それは理屈や思考をすっ飛ばした剥き出しの自我を表現するのに適したツールだと思いました。
私の作品を以前からご覧頂いている方はおわかりかと思いますが、私の描く青い風景の奥にはたくさんの色が眠っています。一方で、抽象画は奥行きというよりも多くの色がそれぞれここにいると主張するものばかりです。
そもそも油彩は色の重なりによる奥行きが醍醐味だと思っています。表面の色の奥に見える他の色の美しさを知っていると思うから、私はそれを自分の世界を通して魅せたいなと考えています。
普段描く自分の世界がじっくり内側を練って手繰り寄せた感覚の滲みなら、私にとっての抽象画は丸出しの感覚を奔出させたものでした。色を重ねた向こう側に見える何かを掴んだときの、脳の奥が痺れるような感覚と違って、丸出しの色の組み合わせや重なりはダイレクトに視覚を殴る。だから好みがはっきり分かれるし、だからこそ丸出しのそれが統一感を持って見る側に訴えかけてきたとき、初めてそれは作家の本質として表れた抽象作品だと言えるのではないのかなあ、とぼんやり思います。
では自分が自分の世界を描くように抽象表現をした場合どんな作品になるのか?とこの記事を書きながらふと思いましたが、それは過去の自分が既にやっていました。
たった今生まれた疑問のアンサーがあっさり見つかってしまって拍子抜けしています。確かにこの作品、抽象画なのにかなりパッション感は薄かったし難産だったな。
自分にとっての抽象表現、難しいです。
いずれもっと深堀してみようと思います。