家族と仕事
リーマンショック、働き方改革、コロナ、パワハラ防止法。
僕が働き出してから、働く環境が変わる様な出来事が何度か訪れた。
製造業の20人程の小さな会社で働いて、今は2社目。
時代の変革期に淘汰されて行く会社もあった。
創業者や社員の高齢化で、後を継ぐ者も無く、他社と競争をする体力や勢いを無くし、廃業するという話も、リーマンショック位から、よく聞く様になった。
最近、仕事が忙しくなり出した。
昔程では無いが残業や休日出勤が増えてきた。
働いて初めての不景気がリーマンショック。
それでも3ヶ月~4ヶ月位で仕事が戻ってきた。
今回のコロナ禍が最長。
2年程、仕事が有る時、無い時を繰り返している。
働き盛りに、あまり長く立ち止まるものでは無い。
子供が小さい頃、仕事に追われ、帰りも遅く、休みでも土曜日は、だいたい出勤していた。
母親1人に子育ての負担も行く。
平日の方が空いてるし安いからと、嫁がママ友と一緒に、子供を連れて遊園地へ。
僕が忙しくて休めず、嫁の親が旅行に連れて行ってくれたり。
働く事、お金を稼ぐ事が存在意義の様に思っていた。
コロナ禍で家に居る時間が増えた。
父親が家に居る事の違和感。
先の見えない不安。
考える時間が増えて、考え過ぎてしまう。
それが嫌で、違う何かを、と思いSNSを始めてみた。
noteで頭の中を吐き出してみた。
Twitterで写真を撮る事が趣味になった。
その趣味の流れでInstagramにも写真を投稿してみた。
それでも、家族との距離を間違えて生きて来てしまった気持ちは埋められ無い。
何の才能も無い僕が、お金を稼ぎ、家族を養う事。
がむしゃらに働く事で、そのプレッシャーを誤魔化して来たのかもしれない。
結局、自分の気持ちを優先して来たのかもしれない。
家族の為と偽りながら。
人生にタラレバなんて無い。
やって来たか、やって来なかったか。
そして、その延長線上の結果を受け入れ続ける。
せめて大切な家族の生活は守りたい。
子供達の選択肢を広げてあげたい。
嫁の老後に、不安が無い様にしてあげたい。
家族は、もっと違う事を僕に望んでくれてたかもしれない。
お金より大事な何かを、戻せない時間の中に置いて来てしまった。
走り続けていれば考える事すら無かったかもしれない事。
次に立ち止まった時は、違う景色にできてるかな。