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2021/12/17(金)最近のこと。石岡瑛子と推しと自分

石岡瑛子の展示にやっと行けた。東京で開催している時から行きたいと思っていた。デザインという途方も無い世界に乗り出して、その実態もよく分からないままジタバタと数年が過ぎ、疲弊してパニックになって現在。ちょっと一旦冷静になろうと立ち止まり蹲っている。そんな自分を遥か彼方から手を握ってくれる様な(?甘いかな)展示だった。「グラフィックデザインはサバイブできるか」を題したこの展示。最初よく分からんコピーだな、と頭が理解するのを早々に放棄していたこのコピー。会場から出てガラスに貼られたカッティングシートをじっと見つめた。体感した後に戻る原点。鳥肌が立つ。これがエクスペリエンスデザインか…。

会場いっぱいに鳴り響く石岡瑛子の声は心地良くキャプションを読む頭の中に絶妙に滑り込んでくる。表現のジャングルに無意識の内に飛び込んで、人知れずパニックになっていた私の頭へ天啓の様に「応え」を差し込んでくれる。この声買いたいんですけど。係の人に聞いたらなんとyoutubeで無料で聴けると。なんじゃそりゃ。帰りの電車の中で「天啓」にうんうん頷きながらいつの間にか寝ていた。

身体表現が昔から好きだ。顔が良ければ本当は俳優かダンサーになりたかった。円弧を描く人間の肉体。皮膚の質感、骨格の動き、まつ毛が上がる瞬間の空気の揺れ。人間の口の動きとか特に好き。(ピエール・ニネのが特に好き)
推しはそれがめちゃくちゃ綺麗だ。推しが表現する熱は度数が高い。酒は幾ら飲んでも酔わない体質だが、彼が放つ意思には秒で酔える。なんかそういうとこ。
そういうところに辿り着きたい。そこにしか生きる意味が無い気がする。
それをグラフィックデザインの領域で達成したのが石岡瑛子だと思う。
「デザインは演技するものと考えている。」

ツルツルのデザイン。綺麗なだけの中身の無いデザイン。魂が震える様なデザインは昔にある様な。色んなアーティストに影響を受けてきたけど、そういえばみんな死んでる、、、、。そんなことはどうでも良くて。やっぱ全ては「情熱」だな。この時代にどれだけぶちかませるかな。なんか面倒臭いんだよな。この時代の人間の質が。幼稚で低俗な声が幾らでもデカく聞こえる。まあ昔も新聞の投書とかそんな感じだったんだろうし。置いといて。そこから離れた人間だにけ、見える世界があるんだろうな。
「瞬発力と集中力と持続性を身につけて、知性と品性と感性を磨く。
磨いて、磨いて、磨きつづける。
あるとき、ふっと深い霧が晴れるように、何かが少しだけ見えてくる。」

それまで、憎しみに呑まれない強さが欲しい。やっぱそういう意味で我が推しは尊いなと思ったり。芯が強い。何があったって何を言われたってニコニコしとる。思い巡らした軌跡が見える言葉と、前向きな決意が感じられる表情。
早く晴れたいね。

表現の場は戦場。
「幕末の志士達の様なグラフィックデザイナーになれ」
推しも戦ってるから。うだうだと過ぎてく毎日。戦ってみるか〜、って気になる。
色んなものに対する自分との戦い。

ぴよぴよ新参の無駄震い。


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