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映画『her』ロマンスの定義の究極はこれか

映画『her(/世界でひとつの彼女)』を鑑賞。

監督: 

ネタバレ多いので作品ご覧になってからお読みください!


まずなんといっても、作品全体の美術がとても好きだった。あの衣装、細かい小道具、オフィスなどの色づかい。お気に入りの映画のひとつになった。曲や映像の色調も。柔らかく温かくて世界観が最高にマッチしていた。

今年話題のホアキン・フェニックスとスカーレット・ヨハンソンの豪華共演。

ホアキンはどれだけ注意深く見てもジョーカーを演じた人とは思えない。閉ざしてフリーズさせていた心が、満たされていくことで溶けるように開いていって、他人を求め始める。その移り変わりが静かながらものすごい熱量で伝わってきた。纏うエネルギーが一秒一瞬毎に繊細に変わっていく。本当に緻密で力強い表現、憧れる。一つ一つの瞬間がとても人間的で、美しかった。

スカーレットは、『Marriage Story』で初めて観て、冒頭シーンで衝撃のひとめぼれしてから満島ひかりさんと並ぶ私の大憧れになっている素晴らしい俳優。今作は声だけのに、なぜあんなに色彩豊かで、常にいくらが大量にプチプチはじけていくようにエネルギーが細かく強く溢れているんだろう。十分すぎるほど伝わる想い、葛藤、ときめき、愛。圧倒的存在感、そして、主人公の目線に立って恋してしまうような人間的魅力。あの声のハスキーさも、時に切なく時にセクシーで、とても魅力的。大好き。


セオドアとサマンサ、2人の出会いからの物語を目撃して、「恋愛って、これだよな」と。「恋人、パートナーにするとは、それを人間が欲しがるのは、こういうことからだよな」というものが見事に描かれていた。自分を理解してくれる、見てくれる人。受け入れて、認めてくれる、肯定してくれる人。寄り添ってくれる人。大事にしてくれる人。一緒に心から笑える人。そんな人と出会えたとき。そんな人を失ったとき。拒まれたとき。


そしてこの映画は、個人的に今の私に刺さるものが多すぎた。

中でも一番は、「過去は自分で作り出してる、自分は劣ってると言い聞かせてる」ということ。

自分で自分のリミットを決め飛び込まない、過去の失敗を思い出し恐れて動かない。こわいと思って飛び込まずに見ているときが実は一番怖くて、飛び込んでしまえばそんなにこわくないかもしれないのに。言い聞かせて言い訳をして、チキンになるのをやめたいなあ。


こういうSF、結構好きで。近未来の話とか、ありそうでない話とか。

人工知能のOS(オペレーションシステム)が、最初はプログラミングされたサービスだったのに、自分でどんどん進化されていき自我を持ってパーソナリティを持っていく。人間としては、自分のメールからネット上の全ての知識まで、自分の全てを知られていて、その上で自分を肯定してくれる、楽しく話してくれる、見てくれる、聞いてくれる、そして相性が良い、一緒になって笑える。しかも自分だけを見てくれる。そんな存在があったら、最高のよりどころになる。人間同士だったら互いの全ては知らないし、強い自我と強い自我の関係。でも片方がOSだと、人間側が主役、の状態からスタートするから、相手の強い自我を気にする必要が減るし、ジャッジされるという自意識が減りコミュニケーションを取りやすくなる。

世の中の人間ひとりひとりがそんな存在と生きられたら、どんどんひとりひとりの幸福度が上がり、他人に対しての態度も良くなり、人々はどんどん幸せになっていくはず。

でも同時に、人間より恋愛しやすいOSに皆がいってしまったら、子孫を残せない。人類、特に先進国、どうなってしまうんだ…と思っていたら。

でも結局OSも自我を持つ。自分だけを見てくれるわけではなくなる。その展開も面白かった。同時に何千人とも会話をする。「自分だけの」ものではない。自分だけを見てくれているのではない。そして自分はOSのことを理解しきれない。OS同士は理解し合えることも。


その上で、人とどう関わっていくか、考えさせられる作品だった。

でも、私は、それでも、付き合っていたときのセオドアとサマンサのような関係を誰かと築きたい。誰かと、埋め合いたい。




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