父からの電話
今朝、父から電話が来た。
メールを書くことが苦手な父は要件があるといつも電話をしてくる。
離れた隙に時間を置かずに2回の不在着信と1回の留守電。
かけなおそうとしたらまたかかってきた。
「マンゴーを贈りたいんだけれど、住所のメモが間違ってないかききたい。今、店からだから。冷蔵ですぐに送る。」
離れて暮らしている私に夏のマンゴーと年越しそばを送ってくれる。
「こんなにたくさん食べきれないよ!」というと
「だれかといっしょにたべなさい。友だちと食べなさい。」といわれる。
最初に届き始めたのは5年くらい前だったと思う。
私はマンゴーがそんなに好きじゃなかった。
一つは食べて、残りは職場の人や友だちにあげていた。
父から直接電話が来るのは、だいたいこの時と年越しそばを送る時。
しかも注文する店にいってその場からかかってくる。こっちの都合はお構いなし。
父との一番古い思い出は3〜4歳頃。
当時出張が多く何日も家をあけることが多かった父に、私は
「おとうさんどうしていっちゃうの?いかないで。おうちにいて!」
と、泣きながら父を引き止めた。
玄関で母に抱かれながら、着替えを取りに来た父を泣きながら見送ったのを覚えている。
父は若い頃ボクシングをしていたので、腕っぷしが強かった。
手をつなぐのも、持ち上げるのも、子供の体には荒々しく、怖くて私はよく泣いた。濃いひげの頬を擦り寄せられると、幼い肌には痛くて走って逃げた。
彼も自分の力をうまくコントロール出来ず戸惑っただろう。
不器用な人だった。
私が小学2年生の時、父は反抗した私を叩いた。
私の太ももには大きな手形のあざが1週間ほど消えなかった。半ズボンの裾から手のひらと指の形がくっきりのぞいて、同級生に
「お前の家には幽霊がいるんだ〜!のろわれた子供だ〜。」なんて言われた。
痛む手のひら型のあざに四苦八苦しながら、いじめられて毎日泣いていた記憶がある。今となっては苦めの笑い話だ。
小学校4年生のときだった。
生来体が弱く、体の不調や痛みからくるストレスですっかりふさぎ込みがちになった私は、姿勢がどうやらとても悪かった。
道を歩くときは下を向き、背中は前傾で丸まり、体調不良から考えることも暗く暗く落ち込みがちになっていった。
父は繊細な人ではない。
人の気持ちがわからない。
自分の気持ちもよくわからない。
他人を傷つけて、責められてから気がついて落ち込む。
どこまでも不器用な人。
若い父には当時の私の気持ちなんて今以上にわからなかったのだろう。
連れ歩く娘が前を向かず、背を丸めてうつむき歩くのを見苦しく思ったのかもしれない。
「なんで下をむいているか。もう少しシャキッとして、胸を張って背筋を伸ばせ!」
そう言って強い力で私の背を叩いた。
その時、私は本当に久しぶりに前を見た。
焼け付くようなヒリヒリとした背中の痛みよりも、
広がる青い空、強い日差し、額に当たる向かい風、乱反射してざわめく木々の葉のさわさわとした音。
ものすごい情報量だった。
何の根拠もなく「背筋を正して前を向いたほうが良いんだ」とおもえてしまった。
父はマンゴーを食べない。
ケチだから、私に送ってくれるような上等なマンゴーを自分のために買って食べたりはしない。
昔食べてとても美味しかったのであろうそれを、毎年送ってくる。
そばも、東京では気軽に食べられないだろうと送ってくれる。
「父の日に、良いパジャマを送ったよ。ちゃんとつかってね。」
子供の頃に父に送った贈り物は、封もあけずにいつもタンスの奥にしまい込まれる。
バレンタインのチョコレートも箱のまま、賞味期限が過ぎても父の席の上のガラス戸棚にあった。
一生懸命考えて贈ったものを、使ってもらえない、食べてもらえなくていつもしょんぼりした。
今年の父の日のことを妹に相談すると、
「おねえちゃん。おとうさん、健康診断で少し痩せるように言われたみたいだよ。」と教えてくれた。
随分と小さくなった父は、それでもまだダイエットが必要みたいだった。
父はお腹がポコっとならない。
太い胴体をしていたけれどいつも浅黒くて皮下脂肪が少なかったから、父が太ってると思ったことはほとんどなかった。
父は贅沢品を持たない。
父には趣味がない。
父は、数少ない大切なものは大事にしまっておくタイプの人だった。
じゃあ、毎日使えるもの、少しでも快適になるように、父が買わないようないいパジャマを送ることにした。
「うん。わかったよ。つかうよ。ありがとう。ありがとう。」
要件のみで、手早く電話はきれた。
今でもたまに思い出す。
仕事に行く父を泣きながら引き止めた子供の頃を。
嫌がる私に擦り寄せてきた濃いひげの肌を。
前を向けと強く叩かれた背中の痛みを。
私はマンゴーが昔よりも、好きになった。
痛みやすくていつまでも大事にとっておけない、父が送ってくれるマンゴーが。
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