まぶしくてよく見えない
思春期の頃の私は恋する相手が夢に現れるたびすっきりしない気持ちで目を覚ましていた。私の夢ではいつも恋した相手には顔がなかった。記憶をたどると輪郭はおぼろげにあるし、それが相手だということもわかる。しかし顔だけ靄がかかったようにかすんで、うまく描かれないのだ。
会うと相手の事はちゃんと認識できる。しかし夢の中で、記憶の中で、相手の顔だけがうまく描けない。まるでマグリットの絵のようにそこだけが抜け落ちていた。
子供の頃から人の顔はよく覚えるほうで、一度しか会ったことがない人にも相手より先に気がつくことが出来た。
ところが恋した相手に関しては、「そこに笑顔があった」という事実は覚えていても、どんな風に口角が上がるか、眉尻が下がるか、目を細めていたか、そういうことがうまく思い出せない。
10代の頃は脳の障害なのではないかと真剣に悩んだ。しかし事が恋愛なだけに、うまく他人に相談することはできなかった。問題の対象が恋した相手だけ。思い出したい時は思い出せない。相手を想うとき、いつもすこし切ない気持ちだった。
夢診断では吉だとか凶だとか、誰の目も気にせず動けるとか自分の心を隠しているだとか今ひとつ落ち着くような回答には出会えなかった。大丈夫だと思い込めればよかった。思い出したときにパラパラと調べることを繰り返した。
そうしているうちにネットでも自分と同じ思いを抱える人がいるのだということがわかってきた。
今まで調べた事をまとめると、
人は恋した相手といると交感神経が優位になり心拍が上がり、虹彩が縮み瞳が大きくなる。そうすると光の取り込み調節がうまく出来ずに相手の顔が実際に「よく見えていない」。よく見えていないものはよく覚えきれない。脳はよく見えていなかったことをよく覚えているから、よく見えていないままの記憶が残る。すると顔がよく見えなくなる。
実際に虹彩が縮むから、相手がまぶしく見えていて、よく見えないのだ。
では、好きになった人の顔を覚えきれる人と覚えきれない人の違いはどこにあるのだろう?相手の方から好きになってくれたならリラックスして憶えきれるのか?でも後から好きになったとたん、見えなくなってきたこともある。それは忘れたとはまた違う。愛情、愛着が優先になるのだろうか?そのあたりにも何かがある気がする。
恋を繰り返しながら想い人の顔の空白にも慣れていった。ふと夢の中の想い人に顔が描かれ始めると、「恋が終わった」というアラートだと感じるようになった。このアラートで恋をおわらせにかかる癖もついた。「自分の中では終わったんだ。じゃあ続けちゃいけない。相手に失礼だ。」と。なぜそんな風に思うようになったのか。だましだましでも様子を見れば良かったのに。好きになりすぎることも好きになられすぎることも怖かった。
顔を覚えきれたからといって相手への愛しさが消えたわけでもない。顔を覚えきれたということは交感神経の高ぶりが落ち着いてきているということだ。やがて一緒にいることでリラックスできるようになっていく。もしかしたら恋から愛になる段階だったのかもしれない。なんにしても怖かった。
人は嫌いなものについてのほうがよく覚えている。しっかり認識していないと、避けることが出来ない。危険回避のための本能なのだという。
好きという感情が生まれると、人はよりそれに近づこうとする。相手とより距離を縮めるために、脳は人を盲目にさせる。人は少し狂わなくては交わることが出来ないらしい。
おとなになってからは怖いことが減るように、狂わずに交わる方法を探している。そのためには自分を変えるしかない。それでももう少しで、いつか夢に出てくる想い人に最初から顔がある日がきてくれるんじゃないかと願ってる。そうすれば怖いことが少し減るような、そんな気がしている。
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