たいせつなものを、なくすということ。
【はじめに】
これから『けものフレンズ3』の主にメインストーリー8章の「完膚なきまでのネタバレ」を含んだ感想を書きます。けもフレ3のストーリーに予備知識なしで向き合いたい方や、すでにプレイ中でネタバレを回避したい方は、ここで回れ右してお帰りください。しっかりと前もってお断りいたしましたので、苦情は一切受付けません。あしからず。
キャラクターをロストするゲームシステムがあることをご存知ですか? 古典の名作と言われる『Wizardry』や、任天堂の『ファイアーエムブレム』シリーズ、最近のもので言えば『艦これ』にも、キャラクターロストシステムがあります。「プレイヤーは、何も失わずに何度でもチャレンジすることができる」というのは、ゲームの良さのひとつであると同時に、現実は「死んだら終わり」という事実を薄れさせてしまうところもあると思います。それの善し悪しはここでは置いておきますが。
キャラクターロストは、いわゆるHP0や行動不能とは違い、ゲーム内での「永遠の別れ」を意味します。ありがちな「教会での復活」などは叶わず、手塩にかけて育成し、いかに愛着のあったキャラクターでも、再び会うことができなくなります。「そんなん嫌や!」と、そういったシステムを嫌がるプレイヤーも少なくないと思いますが、それがあることによって、プレイヤーの選択に緊張感が生まれ、クリア時により高い達成感を味わえるなど、そのタイトルの「良さ」のひとつとして機能することも多いと思います。
なんだこれ、けもフレ3の話がいつまで経っても始まんねーな? と思われていそうで申し訳ありません。キャラクターロストについて軽く説明しておくことがどうしても必要だったので御容赦ください。
有言実行された 「かわいいだけじゃない!」
この公式のツイートにあるように、けものフレンズ3はかわいいだけじゃなかったのです。8章は特にその色合いが強く感じられました。
8章の持つ大きな役割り、そして狙いのひとつは「全プレイヤーが避けられないキャラクターロスト体験」なんじゃないかな? と思っています。
アニマルガールとしてのドールの死と再生は、プレイヤーの選択では回避することができません。そもそも選択できないように作ってある。なんたる無慈悲か…。
ドールのことを、第一印象で「なんか地味な子だな、サーバルちゃんをよこせよ」とか思ってたプレイヤーもいるかもしれません。どちらかと言えばボクもそっち側だった気がします。
ドールは1年かけてプレイヤーと絆を深めてきました。見た目の愛らしさ、隊長に寄せる無条件の信頼、8章でのボスの言葉を借りれば、その「眩しさ」に、気がつけば、多くのプレイヤーが愛着を感じるようになっていたんじゃないかなと思います。彼女を深く愛したひとのなかには、ドールを「ともだち」と思っていたひともいるかもしれません。文字どおり、フレンズですね。
そんな、プレイヤーにとって「たいせつなもの」に育ったところで、選択すら与えずに、あっけなくプレイヤーから取り上げる。ゲームをリセットしたところで8章に至れば必ず繰り返される。避けられない…。
言い方は悪いですが、シナリオライターさん、あるいはライティングチームの恐るべき「計画的犯行」だなと思いました。目論見どおり、腰砕けになってしまった、トラウマになってしまったような隊長さんたちをTwitterで観測しました。かく言う拙者もクエスト画面を開くのがツラいでござる。ドールちゃんを返して…。
計画的犯行… とは言いましたが、言い方を変えれば、これはライター陣、あるいは、けものフレンズ3の運営が「どうしても伝えたかったこと」なんじゃないかなと思っています。「たいせつなものをなくすということ」を身をもって体験して欲しかったんだろうなと思います。
かわいいだけで飼いはじめたペットを世話しきれず、無責任に放棄したことにより、野生化したそれが生態系に悪影響を及ぼしているというニュースをよく目にします。多頭飼育崩壊の現場などは目を覆いたくなるような惨状が多いです。核家族化が進んで「死ぬということ」の教材として、この世を去ることを最後の仕事としてきたところもある、おじいちゃんおばあちゃんとのつながりも薄れてきているように思えます。
8章は、「いのちについて考える」そういった事への問題提起や気づきを促すことを狙っているのではないかなと思ったりしました。
こんなヘビーな話じゃ、とても子どもにプレイさせられないよ… という意見も見たし、わかるところもあるのですが、こういう話をしてくれるけものフレンズ3だからこそ、子どもがプレイすることをオススメしたいなと、ボクは思うのであります。(プレーリードッグ風
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