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\自己満/「玉響に響くウタ」の話 ~第2話 お歌詞は練れば練るほど色が変わる~


忙しい人向け

歌詞もいろいろ迷った。おしまい。
※すいません、ガチで書きたいこと全部書いてたら下手なレポートより文字数多くなりました。


作詞のこだわり

 私は元来より「文章をそのまま歌詞にするタイプ」にアレルギーを持っている。基本的にそのような歌詞に出会うと、どれだけ音楽が良くても私の耳は受け付けてはくれない。
 また、踏める韻はしっかりと踏みしめないと気が済まない。これが私の作詞スタイルである。
 もちろん、文章をそのまま歌詞にした曲も多く存在し、それらが多くの人に認められているということも重々承知している。あくまで、かえるら個人はこのような感覚の持ち主である、ということをご理解いただければ宜しい。

例えば、次のような文章があったとしよう。

なぜ景色ではなく、情景という文字を使うのか。情景の情は、リッシンベンがついている。心で景色を見るから、情景っていうんだ。

 かえるらはこれを許さない。こう変える。

そっか人ってさ、心で景色を見るんだ
「情景」の字は、心で色を見るんだ
そうだ人ってさ、嘘で自分を守ってるんだ
嘘を「言う」んじゃない、吐いてしまうんだ

これが、かえるら流の作詞である。
 しかし、この方法では抽象的過ぎて伝わらない、ということになる可能性が高い。私の頭だけで情報が完結し、出力した時は情報不足になってしまう。これがどうも難しい。
 実際、「正直意味わかんねぇよな」という表現が多い。抽象的すぎる。ただ、メロディと歌詞が同時に思いつく仕様上、リズムに合わせて歌詞をちまちま変えていくしかない。


歌詞に込めた状況とニュアンス達

ここからは実際の歌詞を引用しながら、その歌詞の言葉選びについて自分語りしていく。


うさぎが誘う先の 霧に包まれた森に
あなたを誘う声は続く この先へどうぞ

 「うさぎが誘う森の 霧に包まれた…森……おん?」ってなった記憶がある。もりもり。
 この箇所でどこまで描写するか迷いどころであった。たとえば、「うさぎが誘う森の 霧に包まれた家に」みたいにすると、目的地がはっきりする。しかし、ここで「家」を描写する必要があるのか?というのが問題である。というのも、このめえ助さんヒツジとそらさんウサギには「家」という具体化された居住スペースがあるのか……という、作詞者が設定を付け加えすぎてしまう問題が発生する。これは書き下ろしという観点からよろしくない。

 さらに、発音が美しくない。「家」という単語はローマ字にすると「ie」だが、実際歌としての発音は「yiye」とならないだろうか。なんか、こう、日本語の「ん」には5種類発音がある的な、その、そういうイメージだよ。

 日本語の歌詞はリズミカルである、という話を聞いたことがある。具体的には、「か行」や「た行」のような、子音の強い音は、パーカッションのような役割があり、リズミカルになる。
 たとえば、「考えたった簡単だった(かんがえたったかんたーんだった)」みたいな歌詞があったとする。私のイメージでは16分のラップ調なんだが、「か」や「た」などの子音が拍を刻んでいる。(伝われ…!!)
 「家」という単語は、母音のみで構成されているが故に、このリズミカルさがない。「包まれた」までは「た行」でリズミカルなのに、最後の「家」で拍子抜けしてしまうのはもったいない。(刻む拍子に、拍子抜け…ククッ、面白くないか?)

 最終的には、「うさぎが誘う→その先→森」という、うさぎ、という対象から森へ視線を移すことで、情景に奥行きを持たせる形をとった。歌詞を読んだとき、あなたのイメージした景色がこのように広がっていれば、私の目論見通りで、作詞は大成功だったといえる。

 作詞していた当初、ここまで具体的に、かつ論理的に考えていたかと言われれば、ここまで細かく考えてはいなかった。ただ、こういう感覚を持ちながら言葉を選んでいたのは確かだ。


行く先を違えた 迷い子は御伽噺
甘いお菓子と果実 「注意:食べかけは残さぬように」

 まずは、「注意:食べかけは残さぬように」という歌詞をそのまま動画内でも歌詞として文字入れしてくださったそらさんに特大の感謝を。こだわりが通じて大変喜んでおります。

 この部分を簡単に説明すると、「この森ってどんな森?」の説明パートである。妖しい森を妖しいだけにしてしまうと消化不良を起こしてしまう。結局この森はなんだったんだよ!!!という疑問を残したまま動画からお客様を帰したくはない。……できるだけ。

 「行く先を違えた 迷い子は御伽噺」の部分は推敲を重ね、迷った部分である。というのも、これは前回のNOTEに書いた「最初にイメージしていた猟師の話」の段階で書いたものだ。私の中では、猟師がうさぎを追いかけて、本来人が来るべきではないところに来てしまった、というニュアンスが強い。
 しかし、主人公を現代の大人に据えたことで、「行く先を違えた」がなんのことなのかイメージしにくくなってしまった
 ただ、主人公を現代の大人に据えたのは、私の脳内で完結している話である。ここを細かく共有する重要性は果たしてあるのだろうか???と考えた。考察の余地がある表現だったが、後述する、私がイメージした世界観と合致する結果となったので、よろしい。

 当初は「迷い子は御伽になる」という、「あなたそのものが御伽噺になるのよ(You to be …)」というイメージを伝えたかったのだが、やはり発音が美しくない。「になる(ninaru)」は子音がなめらかで、おちついた曲なら良いが、この曲は(というより私が作曲するものは)リズミカルなもので、やはり子音の強めの発音がよろしい。そんなわけで「ここにたどり着いた時点で貴様はすでに物語なのだ(You are …)」という断定の形をとることにした。

 「甘いお菓子と果実」はその場にあるものを具体的に提示することで、歌詞を読んだ人がより世界観をイメージしやすくなる。「あぁ、とりあえず食べて良いお菓子がそこにあるんですね、ほないただきます」という具合に。
 ただし、「注意:食べかけは残さぬように」……残すと何か、良くないことが起こってしまうのではないか…?というちょっとした不穏さを秘めている。
 たとえば、「食べかけは残さないでね」という歌詞にしたとする。そらさんのカワヨボイスで想像してみてほしい。「はぁぁああい!!ぜぇぇえんぶた~~べまぁす!あっははぁっ!おいっっ……しいなぁ~~!!^^」たとえそれが毒入りであったとしてもあなたは完食せざるを得ないことだろう。(???)
 これはこれで良いのだが(???)、ちょっとした不穏さを残すことができない問題と、ここにも、作詞者が設定を付け加えすぎてしまう問題が発生する。どういうことかというと、話し言葉にすることで、登場人物の「セリフ」として確立してしまうのである。
 だからこそ、「注意:食べかけは残さぬように」という表記を用いることで書き言葉にすることができる。「誰が書いたのかはわからないが、この世界のルールなんだな」と、あなたが感じ取っていただけたのであれば、私の選択は大正解だったといえる。

 今回の歌詞は(というか私が作る歌詞の大半は)総じて、「セリフ」と「文章」の中間を渡り歩いている。登場人物の「セリフ」として確立はさせないけれど、登場人物の本心がそのまま反映できるような構成を意識している。


そう、ここには(あなたが) 退屈しないように
そう、ここでは(子どもの頃に) 還りたいと思うように

 「この世界にあるお菓子も、果物(果実)も、遊びも、全部、全部あなたのためにあるんだ。あなたが子どもの頃に戻りたいと思えるように僕たちは頑張ってあなたを引き留めているんだ!」というのが、私が入れたかったニュアンスである。
 そもそも、私が想定していた世界観は「子どもしか来ることができない夢の世界」。ざっくり例をだすなら、不思議の国のアリスやピーターパンのようなものが近い。
 自我が発達しきる前の、現実と空想がどこか入り混じった発達段階。大人になったら王子様と結婚したい、大人になったらヒーローになりたい。そんな子どもたちに向けた童話は、非現実的でキラキラしているものが多い。しかし、大人になるにつれ、キラキラした世界から離れて行ってしまう。
 キラキラした世界の住人は、そんな、大人になっていくあなたを、どんな気持ちで見送ってきたのだろうか。そんな、大人になったあなたが、キラキラした世界に帰ってきたら、そこの住人はどんな気持ちで迎えてくれるだろうか。
 2016年の映画、「アリス・イン・ワンダーランド/時間の旅」では、不思議の国に帰ってきたアリスを見て、「アリスだ!!」「アリスが帰ってきた!!」とはしゃぐ描写があったと思う。(うろ覚えで申し訳ない。)私が描きたかったのは、この、キラキラした世界の住人があなたの帰りを喜んでいる部分に相当する。
 本来子どもしか来ることができない、だから、大人なのに戻ってこれてしまったあなたは「迷い子」に相当する。そして、ここは本来子どもしか来ることができない夢の世界、つまり、もう二度とあなたは帰ってこない、そう思っていたのだ。そう、思っていたのに…あなたが…!


今夜だけは夢を 纏って眠っていたいの
ここにいる間は 象って生きていたいの
僕たちは悪い子を 食べたりはしないから

 「夢を纏う」だの「象って生きる」だの、どういうことやねん、と思われたかもしれない。しかし、これまでの解説を読んだあなたには、なんとなく、その全貌がちょっとづつ見えてきたのでは、ナイダロウカー(自信ない)

 「纏う」という動詞は、からだに巻き付ける、といった意味合いをもつ。どこか綺麗なヴェールを掛けているような、上品な衣装、雰囲気を感じさせる。これを「夢を纏う」という形にすることで、逆説的に夢に上品なイメージを付加させるねらいがある。(これを読んでいる人に「え、そんなことなくない?」と思われていないか心配で足が震える…!)

 「象る」という動詞は、象徴、すなわち、形のない概念的なものを目に見える形に変える、といった意味合いをもつ。本来、実体として存在しない夢の世界を、あるもの、そこに存在するものとして認知し、感じていたい。そんなイメージがある。(これを読んでいる人に「日本語大丈夫?笑」と思われていないか心配で手が震える…!)

 ヘンゼルとグレーテルにおいては、「勝手に魔女の家を食べた罰」として魔女が子どもたちを食べようとする。
 この怪しい森で、もてなされているには裏があるのではないか?ここにあるお菓子を食べると良くないのでは?と、あなたは疑うかもしれない。

 たとえば、年末ジャンボを購入する程度にお金が欲しくても、「フォロワーの中に!石油王、石油王はいらっしゃいませんか!」とツイートする程度にお金が欲しくても、ある日突然「100万円あげます!どうぞ!」と道端で現ナマ100万を渡して来たら警戒するだろう。
 公正世界仮説、というものがある。世の中は基本的に公平で、良い人には良い結果が、悪い人には悪い結果がもたらされる、という漠然とみんなの中にある心理メカニズムだ。

 「自分はなにもあなたたち(めえそらさん)に得になるようなことしてませんよ!どうしてそんなに自分をもてなすのですか!!」不安になるに違いない。違い……な………ぇぇん…………。そんなあなたに対して、彼女らは「あなたが帰ってきてくれた、それだけで十分嬉しい。あなたは覚えていないかもしれないけれど、私たちはあなたのことをよく覚えている」だから、「迷子を食べる怪物なんかじゃないよ」と伝える、そんなニュアンスを最後に含んでいる。


次回予告

わぁ~、回数を追うごとに文字数がどんどんふえていっちゃうぞ!☆
わ、わぁ……(引)

次回! \自己満/「玉響に響くウタ」の話 ~第3話 続・お歌詞は練れば練るほど色が変わる~

ここまで読んでくれたアナタへ、私からの愛の一言………

微熱の時に食うプリンって……すっげぇ美味いよな……。

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