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──「お米、もらいにいっていいですか?」で、気づかいの意味を心底考えさせられた。
わたしの住んでいる地域は、田んぼがい~っぱいある。
田植えが始まったな~。お。稲が伸びてきた~!わ~!もうこんなにお米がなって、頭下げ始めた。実るほど、頭を垂れる、稲穂かな。の景色よ。金色の海みたいで、美しいな。
約半年は、こんな気持ちで季節を感じながら過ごしている。
お米は、直接お米農家さんから買わせていただいていて。そろそろ家のお米が無くなりそうというタイミングで「お米1たい(※1)、いただいていいですか~」と電話してから、山の上にあるお米農家さん家まで取りに行く。
(※1)お米30kg一袋のことを「いったい」と呼びます。いったいで7,000円。ありがたすぎる。
お米農家さんはご年配の方も多く。お世話になっている方も70代だった。
ある日。住んでいた家の近くに訃報を告げる看板が立てられたのだが。そこに書いてあったのは、お世話になっていたお米農家のご主人の名前。
前々から「身体が言うこと聞かなくてね~」と話していたのも聞いていたけれど、すごくピシピシキビキビ動いていらっしゃってね。30kgの米袋も、ヒョヒョイと持ち上げちゃうし。だから、まさかご主人が、こんなに早く亡くなるなんて、思ってもみなかった。
お通夜に足を運ばせていただき手を合わせ、奥さんともお話した。
「これからも米農家は続けるからね~。変わらず買いに来てね、よろしくね!」と。こちらが「この度は~・・・」なんて暗い雰囲気を漂わせながら話かけるのを遮るように、明るく温かく声をかけてくださった。
ご主人の訃報から3週間くらい経ち。うちのお米は、もう底を尽きそうな状態。
いつもだったら「お米、もらいにいっていいですか~!」って電話するんだけれども。
「まだ四十九日も過ぎていないし、生活も落ち着いていないかもしれない。いま『お米くださ~い!』ってしたら、迷惑かも。相手の状況も考えられないやつだと、呆れられてしまうかも。」
そんなふうにお相手のことを気づかって、いや、気づかいという名の何かをしようとして、一旦は電話をやめた。・・・けれども、夫は電話をかけると言う。
「いやでも迷惑になるよ。今回はやめておこう。」というわたしに対して、夫はこう語った。
「迷惑・迷惑じゃないは、相手が決めることだよ。少なくとも『これからも変わらずよろしくね』と、あちらから声をかけてくださった。まず、かけてみよう。」と。
夫が電話をかけ、スマホ越しに漏れて聞こえてきた奥さんの声は・・・すごく明るかった。・・・し、夫もすごく笑ってて。
夫「こんにちは~!先日は・・・お身体いかがで・・・えぇ、えぇ、、、あっはっは!それはよかったです、よかったです!!それで、ご迷惑でなければお米を、えぇ、では2たいで、今週末のお昼に取りに行きますね~!はい、はい、あっはっは!では、失礼します!」
奥さんは、電話もらえてうれしい~!いつでも来て~!人に会わないと塞ぎ込んでしまいそうで!こうして誰かが来てくれて人と話ができることに、すごく救われる~!!・・・とおっしゃっていたそう。
まぁ、まんまと私の気づかいという名の何かは、不要の産物として砕け散った。
気づかいとは、自分の物差しで相手の気持ちを測っているだけで。実際のところ、どう受け取られているのかなんてわからない。
気をつかいすぎて、行動が後手になりがち、やらなくて後悔しがちなわたし。
考える。もちろん、相手の視点から考えてはみるんだけど。もう少しだけ、受け取り手にまかせて……まずは動いてみようかと思う。
……これは、2023年のお話。また、田植えの季節が来る。