ゴミへの愛着。
今年の4月から初めての一人暮らしをしている。
洗濯に自炊。今まで実家で親のスネをかじり続けてきた私にとってはどれもが初めての事ばかり。
その中でもゴミ出しは私に意外な事を経験させてくれた。
私が住んでいる地域は本気出せばどれでも燃えるゴミだというゴミへのパワハラは存在せず、分別のルールがきちんとある。
大家さんがくれたゴミ出しカレンダーとにらめっこをしながら食品用のトレーやヨーグルトの容器などを分別していく。ヨーグルトの容器を一つ取ってみても容器自体はプラスチックだけど、ラベルは燃えるゴミといった具合で奥が深い。
そしてなんとかして出来上がった燃えるゴミたち。そこにあるのはただの燃えるゴミなのに、私はどこか愛着に似たものを覚えた。すると途端に、手塩をかけて分別した我が子たちは果たして回収業者さんのお眼鏡に叶い、回収してもらえるかという不安が私を襲ってくる。
回収期限は朝の8:30。既に時計は8:00を過ぎたあたり。万が一、回収業者が早く来る事も考慮して8:15に我が子を回収場所に持っていくとすると、もう一度分別を確認し直すような時間は到底ない。私は神様に我が子が無事、回収されるようにと願いを込めて回収場所に我が子を預けた。
家に戻ってからも、無事に運ばれたかどうかが気になってソワソワする。我が子だけが取り残されていないかと、玄関からチラッと回収されているか確認してしまう。さながら気分は「はじめてのおつかい」に出てくる子どもの安否を気にする親のようだった。学校に向かうタイミングになってもまだ回収されておらず、我が子を確認できるんは帰宅する時のみになってしまった。すっかり日も暮れた頃、帰路についた私の頭の中は我が子の事で一杯であった。回収場所が見える角をドキドキしながら曲がると、そこには何一つ残されていなかった。我が子だけでなく他の家の子ども達も回収業者のお眼鏡に叶ったのだ。
ただ我が子が無事に旅立った事に安堵すると同時に自分のくだらなさに笑ってしまった。そしてそのままスーパーに小走りでヨーグルトを買いに行った。