舞台が眩し過ぎて

眩しい。ディズニーの世界って、どうしてこんなに眩しいんだろう。キラキラしてる。みんな笑顔で、全てが完璧で、夢と希望が溢れている。それを見るたびに、私の心のどこかがちくりと痛む。「私なんて…」いつもそう思ってしまう。

彼らは強い。明るくて、純粋で、どこまでも理想的だ。それを見ていると、自然と自分と比べてしまう。私にあんなに輝ける瞬間なんてあっただろうか?いや、そんなもの、あったとしても遠い過去の話だ。今の私なんて、こんな光には到底触れる資格なんてない。

あの舞台にいる彼らと私の間には、深くて広い溝がある。彼らは「完璧」だ。彼らが描く物語は、いつも美しく結末を迎える。けれど、私は違う。私はただ、毎日をどうにか乗り越えているだけの存在だ。自分が少しでも崩れたら、すぐに世界から取り残されてしまう。そんな感覚が、あのキラキラした光景を見ていると強くなる。

それでも、私はミュージカルが好きだ。劇団四季の舞台も、他のミュージカルも。でも、ディズニーのあの眩しさだけは直視できない。光が強すぎるんだ。まるで自分の影をさらけ出されているような気がしてしまう。現実の私は、あんなに強くないし、綺麗じゃないし、誰かを救うほど立派でもない。だからこそ、あの眩しさを前にすると、自分が小さく、薄っぺらく感じられる。

本当は、逃げ出したいのかもしれない。ディズニーの世界は、現実逃避の楽園だとみんな言うけど、私には違う。あの完璧な物語を見ていると、逆に自分の抱えるものが強調される。逃げるどころか、現実を突きつけられる。そこにいる彼らと自分が違いすぎて、どうしようもない不安が押し寄せてくるんだ。

だけど、こんな私が思うのも変かもしれないけど、ディズニーが嫌いってわけじゃない。彼らの世界が美しいことは分かっている。ただ、その光が、今の私には強すぎる。それだけなんだ。

ディズニーの世界が、誰かにとっては勇気や希望を与えてくれるものであると知っている。観客席で見ている間、隣の人の目は輝いていて、子どもたちは夢中でスクリーンを見つめている。彼らにとっては、あの夢と魔法の世界が救いなんだろう。そう、私も昔はそうだった。無邪気に、ただその世界を信じて、心を預けていた時期があった。でも今は違う。観劇が終わって幕が降りると、私の心は重く沈む。

なんでだろう。彼らは勇気をくれるはずなのに、私はそれを受け取れない。むしろ、見終わった後には必ずと言っていいほど、虚しさと劣等感に押しつぶされそうになる。胸の中にぽっかりと穴が開いて、何も手につかなくなる。みんなが「素晴らしかった」と感想を言い合う中で、私はただ、無言で出口に向かうことしかできない。

本当は、自分を責めたくないんだ。あの素晴らしい作品を、純粋に楽しめたらどんなにいいだろう。でも、観劇の後に襲ってくる病みが、私を深い場所に引きずり込む。自分が無力に思える。光に包まれた彼らと、自分の差が、より一層際立つのだ。観劇中は一瞬、彼らと一緒に輝いているように感じる時もある。でも、その感覚はすぐに消えて、残るのは深い孤独感だけ。

この葛藤は、もう何度も繰り返している。それでも観劇に行ってしまう。なぜかと問われれば、自分でもよくわからない。ただ、やっぱりどこかで、あの世界が私にも勇気をくれるはずだという期待を捨てきれないんだと思う。辛くても、そこに一縷の希望を見出してしまう。もしかしたら、次こそは何かが変わるかもしれない。そんな希望を抱いて、また劇場の座席に座る。

でも、結局また同じなんだ。終わると、私の中に何も残っていない気がして、ただ病んでしまう。だから、行くたびに「もう二度と見ない」と誓うのに、また足を運んでしまう。この感情の繰り返しは、まるで終わりのない迷路にいるようだ。どこかで出口があるのかもしれないけれど、まだそれを見つけられていない。

それでも、心のどこかでは信じている。いつか、この葛藤が報われる時が来ると。ディズニーの眩しい光が、ただ眩しすぎて痛いものではなく、私の中にも少しずつ溶け込んで、力を与えてくれるものになると。今はただ、その日が来るのを待ちながら、また一歩一歩、進んでいくしかない。

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