僕が父親になれた瞬間
娘が生まれて半年ほど経ったのですが、
半年経った今頃になって
「あ、俺、父親になったんやな」
と実感の湧く出来事がありました。
そんな実感を得ると同時に
「あ、俺、まだまだ父親になれてない、これからも折りに触れて『あ、前より少しだけ、父親になれたな』を繰り返して、少しずつ父親完全体に近づいていくんだな」
と感じて、またその感覚が面白かったのでnoteを書いてみようと思いました。
僕が父親になれた瞬間
つい最近のこと。
きっかけは妻に「最近父親らしくなってきたなぁ」と言われたことをきっかけに、自分が父親になったことを実感させられました。
娘が生まれてから、お風呂に入れたり、おむつ変えたり、抱っこしてあやしたり、寝かしつけたり、できる範囲では一緒に育児をしているつもりだったし、とっくに父親になったと自分では思っていたのですが
妻に言わせれば、まだまだ父親レベルは低かったようです。
最近「娘がぐずるとすぐに気づくようになった」ことが、妻にとっての父親になったポイントだそう。
少し前までは、ぐずってても一向に振り向きもせず携帯をいじっていて、
まぁまぁでかい声で泣き出してようやく、顔を上げて娘の様子を気にかけていたとのこと。
それが最近では、ちょっとグズグズしだすとすぐに気づいて抱き上げ、あやしてくれるようになったと。
まだまだ父親途中だと思った瞬間
「あ、俺、父親になったんやな」
とは言ったものの、同時にまだまだやなぁとおも思ったんですね。
何故かって、
ぐずればすぐには気づける父親
にはなれたものの、
泣いてる理由はいまだにパッとはわからない。
おむつか?ミルクか?眠いのか?
色んな可能性にあたふたして、色々試した果てに、たまたまのラッキーパンチでオムツを替えてみて落ち着く、とか。
それがもしかすると、そのうち様子をパッと見て「こりゃミルクやな」と見抜けるようになるかもしれない。
そうすると父親レベルがまた一つ上がり
「あ、俺、また一つ父親になったな」
と思えるのかもしれない。
はたまた、
娘が幼稚園から帰ってきて「〇〇君のことがすき」って教えてくれた時に、
心に深い傷を負いながらも娘の成長をひとつ実感し、その時
「あ、俺、また一つ父親になったな」
と思うのかもしれない。
父親完全体になる瞬間
そう考えると、日々の中で
「あ、俺、また一つ父親になったな」
と思える瞬間はイメージできたんですけど、
逆に「いつ、完全な父親になれるんかな」と思ったんですね。
娘が「パパとはお風呂一緒に入らない」って言った時?
「私の彼氏」って家に男を連れてきた時?
「私、この人と結婚するの」って紹介された時?
結婚式で娘のスピーチを聞いて、涙と鼻水で視界がかすんだ時?
あえて答えを出すとすれば「自分が死ぬ時」が父親完全体になる瞬間なのかなぁ。そんなふうに思いました。
父親として、色んな娘と接していくなかで、少しずつ父親としてのレベルを上げていき、最終的には自分の人生が幕を閉じる時に、父親としての成長もそこで止まり、ある意味完成形にたどり着けるのではないかなぁと、そんなふうに考えたからですかね。
こんな話が面白いと思った理由
ふと感じた「父親としての気づき」これをわざわざnoteに書こうと思ったのは
「これ、人生そのものやん」
って思ったからなんですよね。
「父親になる」
ということに、明確なゴールは無く、自分の人生をかけて少しずつ父親になっていく。
「仕事ができるようになる」
とかも、どこかを境に「仕事ができる人」になって、それまでは「仕事ができない人」と分かれているわけではなくて、
日々の研鑽の中で少しずつできることが増えていき、少しずつ仕事ができる人になっていく。
「お金持ちになる」
も、とある金額を境に急に「お金持ちになる」わけではなく、支出を減らし収入を増やして、少しずつお金が増えていった結果、いつのまにかお金持ちになる。
いずれにも共通するのが「他人と比べではいけない」ということであり、
比較すべきはいつも「過去の自分」であるということ。
父親になるスピードも、仕事ができるようになるスピードも、お金持ちになるスピードも、
人それぞれで、過去の自分と比べて成長していれば良し。
長い人生をかけて、少しずつでも前に進み、成長していけたらいいのかなぁ。
そんなふうにふと思い、気づきのメモとしてnoteに書いておこうと思いました。