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父と、”みんなで一緒に”を描きなおす
はじめに
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父とのことを、これまでnoteに書こうと思っては、断念してきました。
父に抱いてきた気持ちは、私の中でもひときわ大きく、複雑です。
親元を離れてから15年以上たった今も、様々な場面で「うちは父が○○で…」と口にしてしまうため、私の友人であれば父にまつわるエピソードを何かしら聞いたことがあるでしょう。それくらい、父は私の人生に影響を与えた人物なのです。
そんな父との関係に今年の初め、大きな進展が訪れました。
「今後一切来なくていい!」
2025年のお正月は波乱の幕開けでした。
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もともとは例年通り、実家で親戚とおせち料理を囲む予定でしたが、私たち家族は直前に参加を見送る決断をしました。そのことを伝えたところ父は激怒し、「こんなに準備していたのに、人の気持ちを考えられないのか!今後一切家に来なくていい!」と言われてしまったのです。
実は、今回集まりに参加すること諦めた原因の一つが、こうした家族間のコミュニケーションにありました。
私の家族・親戚が集まる場では、昔から小さなけんかや言い合いが頻繁に起きており、そのほとんどの渦中に父がいました。 私は幼い頃からそれに慣れていましたが、そうでない夫にとっては驚きの光景でした。
感情に任せてお互いを責め合い、ほとぼり冷めれば何事もなかったかのように振る舞い、周囲への謝罪や説明もない。ハラハラしたりモヤモヤしたりしながら、夫はそれが繰り返されることに疲れていました。
夫からそのことを打ち明けられた際、私も「言われてみたらそうだよなあ」と納得したものの、正直打ち手に困りました。この数十年、自分たちがそのスタイルで生きてきたこともあり、何をどこから変えればいいかわからなかったのです。
そうした背景があり、私たち夫婦はこの種の集まりに参加することに、少し後ろ向きになっていました。
しかし、今回父からの一言に胸を痛めている私を見て、夫は決意したようにこう言いました。
「お父さんと、直接話をしに行こう。」
”みんなで一緒に”へのこだわり
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父は昔から”みんなで一緒に”過ごすことにこだわりを持ち、それを最優先に行動してきました。
そのおかげもあって、幼少期から成人するまで、家族での思い出には事欠かなかったことも事実です。毎年みんなで旅行に行き、親戚たちとも欠かさず集まり、楽しいこともたくさん共有してきました。
しかしそれが達成されなかった時、父は憤りや怒りを抱え、時にそれを周囲への態度や言葉に強く表しました。そのたびに、その場にいる全員が暗く重苦しい雰囲気に包まれたのを覚えています。
「みんなを集めて楽しい時間を演出して、その幸せを一番願っているのはお父さんのはずなのに、上手くいかないことへの怒りを周囲にぶつけては誰も幸せにならない。それはお父さんにとっても本末転倒なのでは?」
その後実家を訪ねた私たちは父を前にし、こう言いました。感情をぶつけられる辛さもありますが、人を喜ばせるのが大好きな父の姿を知っているからこそ、それが台無しになってしまうことが悲しかったのです。
みんなで一緒に過ごしたい気持ちは自分たちも同じであること。だからこそ、その場にいる全員の気持ちを尊重したいこと。どうしてもそれが難しい時は、一時的に距離を取ることも許してほしいことを伝えました。
父の本領発揮
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父は、話を聴きながら自分の長年のコミュニケーションスタイルや感情の表現方法について振り返っていました。
そのルーツがおそらく父自身の生まれ育った環境にあること、父が子育てをする際参考にしていた先人のアドバイス、そしてそれらを疑うことなく貫いてきた事実。
おそらく父は、自分が70歳近くなったこのタイミングで娘夫婦からこんな提言をされるとは思ってもみなかったと思います。
しかし今回のことを経て、
「家族が増えていくのだから、コミュニケーションの方法もアップデートしていく必要があるな。言いにくいことだったと思うけど、話してくれてありがとう。」
と理解を示してくれました。
家族を愛する、父の本領が発揮された瞬間でした。”みんなで一緒に”いるために、自分が変わることも辞さない父の覚悟を感じました。
そしてこれは、私が初めて、父に本気で何かをお願いした瞬間でもありました。勇気をもって父とこの話をすることができたのは、私の家族を信じて、共に向き合おうとしてくれた夫がいたからだと思います。
家族それぞれの想い
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そして、コミュニケーションに関して夫が気になっていたことをもう一つ、父に尋ねました。
「差し出がましいようですが、今回”もう来るな”という趣旨の言葉を受けて、香里さんは胸を痛めていたと思います。これについてはお父さんはどうお思いですか?」
その瞬間、父は「そうだった?」と言うような、少し驚いたような顔をして私を見ました。
私が「強い言葉だなあと思ってびっくりしたよ。」と言うと、少し考えて
「甘えがあったかもしれないな。」
と言いました。
「家族だから、強い言葉を発しても、その裏の意図を汲みとってくれるだろうと甘えている部分があったかもしれない。」
父は悪かった、と言葉を続け、
「ママは、普段の様子を見ていてどう思う?」
と隣で見ていた母に意見を聞いていました。
「いつまでも子どもたちを、”子ども”として見ているんだろうなと思うよ。」
と、母が言うと、
「そうか、それはあるかもしれないな。」
と少し観念したような顔で笑いました。
ごくわずかな会話でしたが、私はその瞬間にも、これまでとの変化を感じていました。それぞれが親子や夫婦の関係を超えた「個人」として、お互いの意見を尊重しているように思えたのです。
父は、すでに変わり始めていました。
”みんなで一緒に”を描きなおす
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今回の一件を通して、私には二つの学びがありました。
一つ目は、人はいくつになっても、変わろうと努力できること。私は、自分と同じで父もきっとそう簡単には変われないと思い込んでいましたが、そうではなかった。今はまだスタート地点ですが、まずはそこに立てたことを喜び、ここからは”一緒に”家族の新章に挑みたいと思います。
そして二つ目は、勇気を出して対話を始めることの大切さです。いつかと思っていたけれど、ずっと踏み切れなかった父との対話。今回は、夫や息子の存在に、大きく背中を押してもらいました。これもまた、彼らに”一緒に”いてもらえたからこそ乗り越えられた壁でした。
家族の形は変容していきます。
”みんなで一緒に”あり続けることは簡単ではないと思いますが、一方でそうありたいという父の願いは、娘である私にも着実に受け継がれています。
生活の変化や新しい価値観を受け入れながら、自分たちの在り方を"みんなで一緒に"アップデートし続けること。
それが私たち家族の、普遍のテーマなのだと思います。