「私たちは、」で語れる夫婦へ
夫と、結婚6周年を迎えました。
息子が産まれてからの2年間で、家族の環境が大きく変わり、夫婦の関係性も変わりました。
この機会に、私と夫の関係性の現在地を記しておこうと思います。
違いを認めあえるパートナー
私はもともと他者に興味があり、相手が「自分と違う価値観で生きる人」であればあるほど魅かれる傾向にあるのですが、夫は私にとってまさにその代表格。
今を生きる私と、常に先を見る夫
感情に寄り添いたい私と、構造を理解したい夫
誰とやるかが大事な私と、何をやるかが大事な夫
出会った頃はそういう私たちが面白かったし、お互いの違いを認めて尊重することに前向きでいられました。
しかし、結婚や出産を経て家族の共同運営者となるにつれ、夫婦にとって異なる価値観は不都合な真実と化していきます。
「幸せな家族」であることの弊害
異なれば異なるほど、スタート地点が遠ければ遠いほど、夫婦の意思決定には時間と体力がかかる。出産を経て二人の時間が減り、十分に対話ができない環境において、このことは我々に重くのしかかってきました。
問題に直面しても、基本的に見解が異なると分かっているので、「私はAだし、あなたはBだよね。」と確認してそれ以上踏み込まない。その場ではお互いにとってに当たり障りない回答を捻り出し、それ以上議論しない。いつからか相手への"尊重"にかこつけて自分を封じ、何かを要望することや、理想を伝えることすらしなくなっていきました。
時に鬱屈としても、紛らわす手段(やりがいある仕事や気晴らしに付き合ってくれる友人の存在など)はたくさんあったし、なによりまだ幼い息子の笑顔や成長ぶりを目の前にすると、その"幸せ"に水を差したくなくて、現状から目を背ける日々。
『自分1人なら自由に決めて行動できるのに、2人だといろいろ気疲れして窮屈だなあ…』
と感じることもしばしばでした。
勇者の行動
そんな矢先、夫から「別居でもしてみない?」と切り出されます。
このとき夫婦の暗雲に切り込んだ夫の行動に、私は驚きと不安、そしてある種の敬意を感じました。同時に、問題を後回しにしていた自分の姿と、そのツケが回ってきた現実を突きつけられた気がしました。
そこから、ようやく夫婦で話し合いました。
結果として別居には至らなかったものの、今思えばパートナーシップとしてかなりギリギリのところに立っていたと思います。おそらくこの危機を乗り越えられたのは、臭いものに蓋をせず、対話を諦めず、私を信じて働きかけ続けた夫のおかげだと、今でも感謝しています。
「私たちは、」で語れる夫婦へ
夫婦で話した議題や、ここから改善したいことはたくさんありますが、ここでは特に印象に残った夫の言葉を書き残しておこうと思います。それは、
「私たち」を主語にして語れる夫婦であろう
ということ。
「私はAだし、あなたはBだよね。」
で終わらせず、先をこう続ける。
「だから、私たちはCをしよう(Cであろう)。」
"私"と"あなた"の意思の先に、"私たち=夫婦""としての意思表明をしていきたいというのが、夫からのリクエストでした。
そのためには相手を知り続け、相手と対話し続け、夫婦の意思に沿って変わる努力をし続ける必要がある。
易しくはないけれど、その主語を手に入れることができたら、私たちはまた一つ知らない世界を知れるかもしれません。そして、その世界を共に目指せる最強のパートナーこそが、わが夫なのだと思います。
この先息子が大きくなったら、きっとこの”私たち”にも幅が出てくるんだろうな。
ここからの私たちが、楽しみです。
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