二都物語の終焉

20年以上の長きにわたって、サンフランシスコ・ベイエリアと東京を往復しながら生活してきた。どちらの街にも家があり、移動は手荷物だけだった。気軽に海外に行けるようになった現代の交通インフラとカード一枚で支払いができる決済インフラ、そしてどこでも情報を手に入れられるインターネットの情報インフラがそれを可能にした。オフィスがあるのはロスアンジェルスで、関連会社のある上海、シンガポール、チェンナイ(インド)にも半年毎に出かけ、東京(近郊)にも拠点が2箇所あった。お客さんと話をするために大阪にも出かけて、アメリカの顧問弁護士はニューヨークにいる。

2020年、新型コロナが世界を覆い尽くして、状況が変わった。移動しちゃダメ、という前提が突然やってきた。世界中に散らばっていた拠点が突然重荷になった、そんな感じであった。日本入国に陰性証明書と2週間の隔離と公共交通機関の利用制限、アメリカ入国にも陰性証明と自主隔離。

仕事などはネットでできる。お客様訪問も今やリモート会議だ。本当にインターネットがあってよかった。

しかし重くのしかかる現実がある。支払い、などは月単位で行われることが多いのだが、11月に日本を出て以来、自宅の電気ガス水道インターネットなどなど各種料金は誰も住んでいない家でそのまま引き落とされ続けている。郵便物も投げ込まれるチラシと一緒にどうなっているのだろうか… 逆に日本に戻るとアメリカの家がその状態になる。頻繁に行き来していた時は一月くらいの不在は気にならなかったが、今はどうだ… それだけのために太平洋を気軽に渡ることもその気になればできたのはたったの1年前だ。

その代わり、時間ができた。色々なことを書いていく時間ができた。何から書いていこう。とりあえず、気楽に映画かな、それとも今は遠くなってしまった街々の思い出かな…

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