「忙しい朝にぴったり!」
「朝活」ということばを聞くだけでうつろに笑ってしまうほど、朝というものに縁遠い。生活リズムがずれているから仕方ないと優しく慰めてくれるひともいるが、夜の10時に布団に入ろうが、明け方になってから眠りにつこうが、朝には目覚めない。かつて、毎朝7時に起きていた自分を表彰してあげたいくらいである。
しかし、今思い返せば学生時代の朝はほんとうにひどかった。家人が起こしに来ても、限界まで意地汚く眠るふりをする(本当に寝坊するのは怖いので、決して本気では眠らない)。6:55のウェザーニュースが聞こえてくると、もうそろそろ頃合いである。体を起こすその動作の中で布団をばすんばすんと四つ折りにし、むんずとつかんで押し入れにぎゅうぎゅう押しこむ。「まさに押し入れ」と思うやいなや、四つ折りにした向こう側から布団が滑り落ちてくる。なんせ家族の中で一番遅くまで眠っているので、押し入れはすでにはち切れんばかりなのだ。それを右手で押さえつつ、左手で襖を無理矢理しめる。しめた直後に襖ごしに滑り落ちる布団の悲鳴が聞こえるが、無視する。もう片一方の襖を開け(当然、先ほどの落ちてきた布団をぐんぐん押しやらないと開けられない)、敷き布団を担ぎいれる。このとき、頭のてっぺんを使ってヘディングするように押し込むと、残りわずかなスペースでも収納可能だ。押し入れを背にしたとたんそれまでの格闘は忘れ去られ、挨拶もそこそこに顔を洗い、食卓へ向かう。
そういえば、茹でたほうれん草に醤油をかけ、そのほうれん草をご飯にぎゅうぎゅう押しつけ、その醤油の味で白米を食べていたら、「ご飯に醤油かけて食べればいいじゃん」という合理的なアイデアが浮かんだのですぐさま実行して、珍しくお母さんに怒られたっけなあ。いいのに、醤油ご飯。などと考えているうちにすでに朝食が終わっている。作りがいがないとはまさにこのことである。歯を磨き、制服を着て外に出るまでものの15分。「男子中学生じゃないんだから」と思うが、それ以外に特にすることがなかったのである。
一般的に朝と呼ばれる時間に起きなくなって十年近くになる今でも、起きてすることといえば洗顔食事着替えぐらいのもので、何も成長していない。いわゆるメイクというのにも5分くらいしか時間がかからない。化粧水やら乳液やらをきもち塗り込み、BBクリームという便利なものを伸ばし、眉毛を描いて、なんとなくまぶたを茶色くしたら後は特にもうすることがないのだ。
だから「時間のない朝にもぴったり!」などという触れ込みを見ると、世の中の人はそんなにも朝忙しいものなのだと痛感する。わたしには想像もつかない忙しいことがあるのに違いない。
スムージーをつくったり、ヨーグルトを食べたり、ヨガをしたり、SNS映えする写真を撮ったりしなくてはならないのだろう。わたしといえば、布団からベッドへの移行に伴って、朝の格闘もなくなった。朝食と昼食を兼用した食事は、わりにまじめに摂取するようになった。ウェザーニュースを見ないので、気温に合わない服ばかりを着ている。それから、醤油ご飯は、実は今もときどき食べている。