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ベロア


わたしの脳内では、感覚と感覚がおかしな形で接続されているらしい。

たとえば、雷の音を聞くと目の前いちめんが黄緑色になるし、苦手な音の「かたち」みたいなものがある(例:テンションがやたらに高いあのタレントさんのそれ。平べったくて両端が尖った薄いアーモンド型。チューニングのずれているギター。網戸。)それから、幼少の頃から触感と食感がごっちゃになる性質もある。

「デニムをはいたときにできるしわの味」や「まゆげのじょりじょりの風味」がわたしの中には存在し、舌を上あごや歯列に押しつけては実在し得ぬそれらを楽しんでいた。実際に口にするのではない、それはなんというか「感覚の味」だった。

幼い頃、母が台所に立つと、ものも言わずそっと背後に佇み、デニムパンツのポケットのすぐしたあたりにできるしわをつまんでは口を動かしていたものだ。思い浮かべるだに、ほぼ妖怪である。

当時は多くの味わいがあったはずだが、思い出すことのできるものは少ない。デニムのしわには、言うなれば上品な出汁に似た繊細なしょっぱさがあった。眉毛はその砂っぽい味が逆にくせになり、いつでも触ることができるのをいいことにしょっちゅうなでていた記憶がある。ベロアは乾いた木と押し入れの奥のような味がした。

祖父母からもらったオルゴールは、うすい水色のベロアで内張りされていた。触るとすべすべするようなちくちくするような不思議なさわり心地で、同じ方向になでると幻のように小さな音で「しゅっ」というのが面白い。よく目をこらすと細かい毛がたくさんならんでいる。どの毛が光る毛なのだろうと目で追っていくと、光は逃げていく。途中でオルゴールが止まるたび、いちいち顔を上げてねじを巻いた。

そのうちふいに口に入れてみたくなって、「左前足」のところを口に入れてみた。どきどきはしなかった。純度の高い「やってみた」はひどく冷静なのである。たぶんおいしくないだろうなと思ってはいたが、やはりおいしくなかった。新しい割り箸を押し入れに隠れて吸ったらこんな味がするだろうなと思った。指で触ったときのあのすてきな感じを舌でも味わえないかと挑戦したが、舌がじりじりするだけで全然面白くなかった。おまけに、唾液まみれのベロアはもうあの光沢を失っていた。

あのとき流れていたはずの音楽をわたしはもう覚えていないけれど、若干のがっかりを含んだ木の味と哀れなベロアの表面は確かに覚えている。だからベロアのワンピースを来ている人を見ると、パブロフの犬的にほんの少しがっかりし、その上唾液が分泌されてしまう。


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あやぽ
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