コーヒー
弱点は何ですかと聞かれれば、悲しいほどたくさんある。
くすぐりに弱く、朝に弱く、雨に弱い。口が悪く、目が悪く、体力がない。細かい作業ができない。コーヒーが飲めない。
これについては弱点ではないのではと思う方も多かろうが、どっこい大きな弱点となり得るのである。
苦いものも辛いものも不得手なので、甘ければコーヒーも好むかというとそうでもない。どれだけ甘くしても、コーヒーは苦いのだ。コーヒーを好む人たちが「これ甘いよ」と言うコーヒーが正しく甘かったことなど一度もない。たしかに甘い。甘いが、それ以上に苦い。しかも甘さは許容範囲を大幅に超えてきている。誰のためにつくられたのだろうと考えると不憫になる。
その味だけではない。この世に星の数ほどある不文律の中で、「大人たるものコーヒーをたしなむべし」は燦然と輝いている。
大人同士の話し合いの場で、陰鬱なムードが漂ってきた。コレハ長クナルゾと頭の中の住人が囁く。そんなとき、どちらかがさっと「コーヒー淹れましょうか」と席を立つ。この場合、「コーヒー」はコーヒー豆を粉末にして抽出した飲料というよりも「場をもたせる」「いったん冷却期間をおく」という非常に重要な責務を有していて、それを断れば相手の勇気あるブレイクスルーを無碍にしたことになり、打破されたはずの重苦しい空気が再来すること間違いなしだ。この時点でわたしから拒否権は奪われている。
地獄のように熱くて黒いコーヒーが運ばれてきたが、こちらは到着したコーヒーを飲むこともできず、「ええまあ」「まあ、あれですよね」などと必死に言葉を紡ぐが、相手は悠々とコーヒーを飲んでいる。
相手はついにコーヒーカップから唇を話し、それを両手で抱え、肘を両桃においた。わたしは固唾をのんで見守っている。おもむろに相手が口を開く。
「さ、どうしましょうか」
お手上げだ。何せ相手は大人なのだ。それも、コーヒーを持った。膝裏にじっとりと汗がにじみ出てくるのがわかる。コーヒーが飲めないと言うことだけで、こんな窮地に立たされるとは。
コーヒーとはいつか和解を試みようと考えているが、機会がついぞない。それに、和解を試みるそのテーブルで、きっとまた相手が言うのだ。
「コーヒーでいいよね?」