唯識と森鴎外

今朝、いつもは朝のワイドショーを見ている父が、何故だか見ていたNHK「英雄たちの選択」。

森鴎外といえば、『舞姫』でお医者さんだったということしか知りませんでした。先ほど改めて調べてみると僅かに知っていると思っていた舞姫に関するエピソードも全くの思い違いをしていたほどでした。
その番組の中で紹介されていた「唯識」。
面白いなぁ。と思ったので、忘れないようにという思いも込めてここに書いておこうと思います。
森鴎外が葛藤を抱えて赴任したとされる、九州は小倉で出会った仏教の「唯識」という思想。そこで紹介されていたお話を聞いて私が唯識について、理解したのは、物事をどう感じるかはその人の心の持ちよう次第である。同じ現象でもそれぞれの立場でその現象の意味が変わってくる。また、楽しいことが起こっていると思うから楽しいのであって、悲しいことが起こっていると思うから、悲しいのだ。というような教えである。ということ。
唯識に関しては、またいつか本で読む機会を作りたいと思いますが、その存在を聞いて、思ったことは、この考え方は、これまでも、自己啓発本でも見て来たであろうし、我思う故に、我ありと言ったデカルトの言葉も量子力学の考え方にも結局は全て同じようなことに行きついているんじゃないかなぁ。とぼんやり、ふわふわと結びついたような気がしたのでした。洋の東西を問わず、学問の文理を問わず、アプローチは違えど同じ何かがあるようで、面白いなぁ。と思ったことでした。

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