今日は良い天気ですね。ええ、雲ひとつなく。
疲れた疲れた疲れた!!いっぱい眠いぞ!!
勤め先のとある催し物に顔を出してきた。
本当は行く義務なんか全然なかったんだけど、その催しに人を紹介したというのもあって、ご挨拶がてら勝手に行った。
不測の事態が起きた際にいつでも裏方業務に回れるように、一応ギリギリスタッフやれます!くらいの服装で行ったら(これも勝手にそうした)、本当にスタッフが1人ドタキャンで来られなくなっていて現場が可哀想なことになっていたので、ほんのちょっとだけお手伝いもした。予感って当たるもんだね。
勝手にやったことで感謝される羽目になってしまい、やっといてアレだけどなかなか居心地が悪かった。こうしてまたうちのボスからの信頼を得てしまうってワケ。
私生活で毎日ひとつはクソカスのドジをしているのに仕事関係ではボロが出ていないせいで、私の人格が過大評価されている。いつか糸がプツンと切れてすべてが崩れ落ちる日が来るんじゃないか。
会場のすぐ近くにあった木組み博物館が月1の土曜開館の日で偶然開いていたので、空き時間に吸い込まれるようにして中に入った。
他に来ていたお客さんたちによると木の良い香りがするらしいが、クソブタ花粉で鼻がやられている私にとっては無臭だった。つらい。視覚的なぬくもりだけが私を慰めてくれる。
何かものを見た時、感想を述べることに対して物心ついた頃からずっと苦手意識がある。というか、言語として述べる以前に「感想を抱く」ことそのものが自分には難しい。
心がときめくものはたくさんあるのに、それを表す言葉を持てていないことが歯痒い。人生に対する閉塞感の半分くらいはここに原因がある気がする。
よって、木組みを見て言えるのはこれだけである。
「はえ〜〜〜〜!!すげ〜〜〜〜〜〜!!!」
組み木の技術ってひとつひとつに名前があるのな。技が編み出されて、(どっちが先かわかんないけど)皆に共有されて名前が付いて、を繰り返して進化し続けてきたわけだ。人間の集合知が顕現されたものとサシで向き合うと自然と敬虔な気持ちになる。この世のあらゆるものがそうなんだろうが。
手に持った木の欠片ひとつひとつが1人の人間みたいに見えてきた。組み木隆之介。
組み木の展示自体はどこかのお城やなんかで見たことがあったけれど、実際に手で触れたのは初めてだったと思う。自由に組み木を分解して良いコーナーがあって、でっかいパズルみたいで一生遊べると思った。
一個噛み合わせが難しいやつがいて、分解したまま戻せなくなりかけたので内心かなり焦った。
危うく、組み木隆之介を組み木and隆之介にしてしまうところだった。
もうちょっと長居したかったな。突発的に入ったのに、思った以上にたのしいたのしいになってしまった。そして展示室を出たら、向かい側に第二展示室があった。聞いてねえぞ。
第二展示室には砥石やカンナなんかの大工道具が並んでいた。
一応刃物を使う職業の端くれとして(末端も末端だが)、かなり気になったのでまた日を改めてゆっくり見に来ることに決めた。
ちょこっとだけお散歩しに寄った早稲田大学の講堂の裏に小さいおじさん像がいて可愛らしかったので写真を撮ろうとスマホを出したら、前からリアルおじさんの群れがやってきたので日和ってしまい、歩きながら横目でシャッターボタンを押した。
おまえら2人しかいないのに妙によそよそしそうなのはなんなんだ。おじさんって生き物はリアルでもスタチューでも変わらないのか。そうやってお互い目を合わせずに一生天気の話でもしてろ。
でも、多分私の撮る角度が悪かったんだと思う
。可愛く撮ってやれなくてすまなかった。これはおじさんに向き合う力のなかった私の弱さだ。次こそは、ちゃんと。
講堂の端に半円状の下り階段があって、その先に暗い鉄扉が見えて気になった。足を進めてみたら、階段の下の方で2人の学生が内緒話みたいな距離感でお話していたのでこいつぁお邪魔虫だぜと思って引き返した。
それから、しゃがんで柵の向こう側に一生懸命手を伸ばしている学生が見えた。何か落としたのかと思って近寄ったら、白い猫を撫でていた。
キャンパスライフっていいなぁ。私は一応大学は出ているけれど、小さな大学だったので所謂キャンパスライフというのをやった実感がない。
まぁ、こういうちゃんとした大学に入ったところで結局似たような展開になっていたことは想像に難くない。
どうせ、落ち着いてぼっち飯ができる場所に詳しくなるだけなんだから。