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【日本サッカー史】11.16ジョホールバルの歓喜アナザーストーリー(サポーター編)

ど〜も、あさひっす!w

今日は日本代表の歴史っ言うか、俺たちサッカーファンのお話を書いていきましょう!w

ワールドカップ初出場を決めた1997年11月16日『ジョホールバルの歓喜』のサポーター編と言いますか、今まで語られて来た『ジョホールバルの歓喜』とはちょっと違うアナザーストーリーをどうぞ‼️

大切な日付 11.16

早速ですが忘れられない日付ってありませんか⁉️

一般的にベタなところで言ったら誕生日だったり、はたまた結婚記念日だったりするんですかね〜⁉️

でもね、趣味をこじらしちゃった人間からすると、忘れようにも忘れられない日ってあるんですよ‼️

それは必ずしも【素晴らしい記念日】だけでなく、【忘れちゃいけない日】のパターンもあったりしてね。

それがオレにとっては10.28。

そう、1993年10月28日の『ドーハの悲劇』って呼ばれてる日だよね。

ほぼワールドカップ初出場を掴みかけてたのに、ロスタイムに決められた同点ゴールで、天国から地獄へ落ちたあの日です。

忘れられないし、忘れちゃいけない出来事。。。

そりゃ、忘れられない日付になっちゃうよね‼️涙

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1993.10.28 ドーハの悲劇の日のチケット

逆にうれしくて忘れられないのが11/16かな。

そう、その『ドーハの悲劇』から4年、1997年11月16日のワールドカップ初出場を成し遂げた日です‼️

岡野がVゴールを決め、悲願のワールドカップ初出場を決めたんだから、さぞかし盛り上がったと思うでしょ⁉️

それがそうでも無かったのですよ。。。苦笑

まっ、その辺について後程書いて行きますか。笑

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1997.11.16 ジョホールバルの歓喜の電光掲示板


激動すぎた1993〜1997

まず、知らない人の為に状況を説明しておきましょう。

当時の日本サッカー界は1993年にJリーグが発足し空前のサッカーブーム到来。スター選手が数多く生まれ、テレビをつければサッカーが地上波で流れ、CMにも選手が出まくってる時代です。そんな中、Jリーグのスーパースターたちのドリームチームみたいな日本代表がワールドカップ初出場をかけ戦ったのがアメリカワールドカップ予選。そして、あと数秒で初出場ってところで決められちゃってワールドカップ出場を逃したのが「ドーハの悲劇」ですね〜。

そこら辺まで大丈夫ですか⁉️笑

続いて、そこから今度は『絶対にワールドカップへ行くぞ‼️』って盛り上がったのがフランスワールドカップ予選です。

特に1997年の最終予選はやばかったね。。。

どうヤバかったかって言うと、全てが規格外だったんすよ⁉️

例えば、紙吹雪の量が半端なさ過ぎて、国立から舞って行った紙吹雪が高速に入り、通行止めになったとか、神宮の大学野球が紙吹雪だらけで中断したとか・・・。全然、笑えないレベルの話があったり・・・。

試合を見る為の徹夜組の先頭が2週間前からテント生活とか、日韓戦のチケットがダフ屋で30万とか・・・。

狂ってるでしょ⁉️ 

しかも、それらのニュースがワイドショーとかで流れた時代。。。

ちょっと今なら想像できないよね⁉️

そんな中、肝心の日本代表は最終予選をグループ2位になり、ワールドカップ出場をかけてイランと第3代表決定戦を戦うことになったのです。

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アウェイの韓国戦には日本人2万人に集結‼️(1997年)


いざジョホールバルへ

その運命の決戦が行われる事になったのがマレーシアのジョホールバル‼️

マレーシアの南の方って言うか、シンガポールとの国境にある都市だよね。

そこに日本サポーターが1万5000人も駆けつけたのです‼️‼️‼️

かなり、ヤバくない⁉️

ただ単純に1万5000人がアウェイゲームに行くってだけでも考えられないのに、しかも、それが海外だからね‼️ 

クアラルンプール経由でジョホールバルに行く便も、陸路でジョホールバルに入る為にシンガポールに行く便も、早々にエアーチケットは売り切れ。いろんなアジアの国々を経由するパターンがどれも売り切れるって言う状態だったんだよね。終いには特別便まで飛ぶ事になっちゃって・・・。ホント、凄くない‼️

今じゃ信じられないでしょ。。。

そして、もっと信じられないのが、ジョホールバルへ行くって決断までの猶予が3日ぐらいしかなかった事・・・⁉️

意味がわからないかも知れないけど、グループ最終戦の結果、第3代表決定戦に回ることになり、その数日後、会場がジョホールバルって決定した訳。そこからエアーチケット争奪レースですよ。そして、開催地が決まったらすぐに飛行機も無くなるみたいな・・・。だから、高い、安いも言ってる暇がないぐらいのスピード感でエアー確保レース。だから、この戦いに向けて、数カ月間、貯金をして準備をしたとかって訳じゃなく、一気にサポーターが数日の間に動いた感じだったんだよね。

そんな感じだったから、みんな、ヤバいテンションでジョホールバルに乗り込んだ感じかな‼️

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ジョホールバルにはスタジアム一周1万5000人の日本人が集結‼️(1997年)


国際感覚は重要‼️

そして、あまり言って来なかった事だけど『国際感覚』ってかなり大事なんですよ。

それは「日本の常識」は「日本の常識」であって、海外に行ったら全く通じない事なんてしょっちゅうある訳で・・・・。

全席指定でも座ったもん勝ちの国なんてゴロゴロあるし、また、その逆もある。

そんなのはちっちゃな事で、ファンの振る舞いで【日本】の評価を一気に下げてしまうこともあるんだよね。だから、気をつけないといけない訳で・・・。

丁度、このジョホールバルの時もまさにそんな感じでした。

って言うのも、ちょうど、その時期のマレーシアでは【森林伐採問題】が社会問題になっていたので、ここは紙吹雪とかはやめた方がいいんじゃないかってことでした。

でも、それまで、ずっとやって来てる事だし、『辞めよう』って急に言って止まるもんじゃないよね。今のようにSNSもないしさ。。。

だから、仲の良いメディアに言って、そのことを取り上げて貰ったり、自分のラジオで言うぐらいしかないんだよね。あとは現場で拡声器で伝えるぐらいしか・・・。

でも、サッカーの応援と同じぐらい大事って言うか、下手したら、もっと大事な事だったりする訳じゃん。

けど、単純に応援に行ってるだけなのに、いろんな規制や余計なことを周りに考えさせたくないから、自然にコントロールする様にうまく考えたりとか意外と大変なんすよ⁉️苦笑

で、毎回いろいろあるんだよね。。。


ドラえもん見参‼️

話は変わって、オレはシンガポール経由、陸路でジョホールバルに向かったんだよね。

そこでビビるのは日本人の数‼️

結果、1万5000人の日本人が行ってる訳だから当たり前なんだけど、もう日本人しかいないの。。。笑

マレーシアに入り、試合会場のラーキンスタジアムに着くと、もうホントに笑っちゃうぐらいの日本人の数。苦笑

完全にホームって言うか、景色こそ違えど、そこは日本みたいな‼️

そんな状態だったよね!w

で、試合前からハイテンションで、そこら中で大騒ぎしてる訳。このままじゃ大事な試合の時には疲れちゃうぞ!って心配しちゃうぐらい。

そして、試合前に武器を投入したんだよね‼️

この前の試合から出してたけど、狙いはここの為に作った奴。

それは『ドラえもん』のビッグフラッグ。

なんで『ドラえもん』って思うと思うんだけど、いろんな意味があったんだよね!w

それはホームでもアウェイでもない第3国での大一番。どうせだったら、その国の人達も巻き込んで日本を応援させたいと言う思いからだったんだよ。

そこでいろんなプランを考えリストアップした中で出てきたのが「ドラえもん』。

で、ジョホールバルに開催地が決まる前から東南アジアか香港だろうって読みがあった中、そのどっちでも『ドラえもん』が日本のキャラクターと認知され人気がある事を知ってたからさ〜。

『これはウケるぞ‼️』

って秒でピンと来たよね。

これで現地の人をも巻き込んで相手より有利な雰囲気が出来ると思った訳ですよ。

まっ、蓋を開けたら日本人だらけで現地に人を巻き込む必要がないってオチだったけどさ。笑

で、そもそも『ドラえもん』って、ブルーで代表のカラーと一緒でしょ‼️

さらに最終予選中に苦しい中、監督になった岡田監督を『のび太くん』に見立て、スタンドから『ドラえもん』が見守るってストーリー。だから、俺たちが『ドラえもん』が道具を出してのび太を助けるように、岡田さんを助けようって言う裏ストーリーだったんだよね。岡田さん、メガネだし!w

テキトーそうだけど、いろいろ考えてたでしょ⁉️

23、4の朝日少年。。。苦笑

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ドラえもんのフラッグ。てか、良い写真‼️


歓喜の瞬間。まさかの・・・苦笑

そして、そんなこんなありまして、延長117分。岡野のVゴールで悲願のワールドカップ初出場ですよ‼️‼️

フランス上陸です‼️🇫🇷

まっ、普通はここを熱く厚く書くんだと思うんだけど、もう出尽くしたし、オレが書かなくて誰かが書くでしょ⁉️苦笑

って事で試合内容その他は割愛させていただきます。笑


で、ですよ。

子供の頃は夢でしかなかったワールドカップ。

それが4年前のドーハの時には手が届きそうどころか手の中にあったはずのワールドカップ。

この時にはシッカリとした目標となり、それを手に入れた瞬間、『どんな気持ちなんだろう⁉️』って、ずっと思ってたんだよね。

それがVゴールで突然やって来たんです。

で、何を感じたかって言うと、まず【脱力感】。。。

「やった〜〜‼️』より圧倒的に【ホッとした】感じだったんだよね。


でも、この瞬間を最高に盛り上げなきゃと思い周りを煽っていると1人の男の叫び声が聞こえたんです⁉️

『集中〜‼️ まだ終わってな〜い‼️ 最後まで〜‼️』って。。。苦笑

その叫び声の主は、、、

アビスパ福岡サポーターのボスであり、オレの悪友、同じ歳の仲間 山本圭吾の声だったんだよね。

狂喜乱舞の中、近くにいたオレ達は『ん⁉️』って感じで顔を見合わせ、冷静になり、、、

『終わったよな⁉️』

『Vゴールだよな⁉️』

『出場決定だよな⁉️』

って確認しあったんだよ。苦笑

頭の中で【Vゴール】ってわかっていても【極限状態】な中戦ってた訳だし、そんな状況だと、みんな冷静ではないんだよね。苦笑

だから、オレ達はその言葉で興奮から覚め、冷静になっちゃった訳。。。

そして、【Vゴール】で試合が決し、【ワールドカップ出場】が決まった事を圭吾の伝えると、アイツ、歓喜余って『やった〜‼️』って大号泣。。。時間差で大喜びしやがった。。。

オレ達を冷静にして、テンションを駄々落ちにしたあげく、自分だけ遅れて来た感動に浸ってやがる。。。

アイツのせいでオレ達は・・・。苦笑

まっ、こんなだったけど、時間が経っても鮮明に覚えてるんだから、やっぱり、特別な日だったんだよね!w


映画『ジョホールバル1997』

そして、数年前、このワールドカップ初出場を決めた『ジョホールバルの歓喜』を題材にドキュメンタリー映画を作らして貰いました。

と言うもの、もう2度とないだろう『あのヤバい時代』を後世に残したかったんだよね。

若い子達からすると、その登場人物は今は監督だったり、コーチだったり、解説者な訳でしょ。その人がどんな人だったのかを知ってるか、知らないかでリスペクト具合って変わって来ない⁉️

もしオレが子供の頃に1968年のメキシコ五輪で銀メダルを取ったレジェンド達のドキュメンタリーとか見てたら、もっとリスペクトしたと思うんだよね。

だから、オレ流のポップさ、ノリで見やすい作品に仕上げたかったんだよね。

そして、岡田監督、選手たちから、ぶっちゃけ本音トークを引き出せる自信もあったしね。

とは言え、これだけ時間が経ってるのに、新しい話、真実を引き出せると思わなかったから自分でもビックリしてる自信作っす。

つ〜事で無料なんで見てみてください‼️

無料公開してます、太っ腹でしょ⁉️笑


今回のネタはどうでしたか⁉️

今年の11/16は信濃町のスポーツバー『カフェ デ クエルボス』で当時の映像を見ながら飲んでると思うので、昔話したい人、一緒に飲みましょ!w

奢ってくれたら喜びますよ‼️苦笑

詳しくはTwitterで情報拾ってください。

▶️ https://twitter.com/cafedecuervos

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オレも結構いるんでよろしくね‼️

そして、今回もお願いです。毎度、アクセス数は多いのに❤️を押してくれる人がアホみたいに少ないです。代表ネタもポチっとよろしくね。笑 書いていくモチベに繋がるので!w

では、お付き合いありがとうございました。

あさひ

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