二十四の瞳
海外で生活するための手段として、日本語を教えるための一通りの勉強はしてきたので、やりたいこととは別に、細々日本語も教えている。
歳をとってくると、個性や人生ありきで教えられることは誰でも何かしらあって、遠慮をするのは大事だけれど、謙遜ばかりしているのはみっともないと思う。
日本で社会経験があるからこそ教えられる内容を売りに、知的・文化レベルの高い生徒への授業は、彼らの目標が達成できたり、それなりの成果も見えたりと、私のレッスンスタイルも確立されてきた。予習復習ゼロのお手上げの子どもクラスがなくなったのをいい機会に、そこにフォーカスしようと思っていた矢先、習いたいという複数のグループから連絡があり、それがなぜか全員子ども...
久しぶりに一時帰国し、今年の初めに訪れた京都の祇園のとある場所で、私の前世は、二十四の瞳のような、厳しく愛に溢れた、子どもたちを教える先生、と占い師のような方に言われたことを思い出した。
子どもがより子どもらしいので、この国で育てようと決めたうちの子どもたちも、もうすっかり育ってしまった今、子どもに接することができる環境って、実はありがたい。彼らのピュアなパワーとエネルギーってすごいから。やっぱり子どもが好きなので。新しい教え方、考えてみるかな。
写真は、数年前に、自閉症の子どもの役を演じた舞台が素晴らしかった友人の俳優のを拝借。素晴らしい写真なので、オリジナルをぜひ。
Foto @ emanuelsoriano11
彼も子どもからもらうインスピレーションが強くあるみたいだ。