新しい自分はどこだ。

 こんばんは。今日も1日お疲れ様です。

 昨日たのんだamazonの本が今日の夕方に届いたことに心底驚いているきょうのよしもっちです。北海道にいたら、本でも筋トレ道具でも毎回届くのは2日とか3日かかるので、昨日たのんで今日届くっていうのはとても新鮮です。ただ、自分の借りている家には郵便ポストがなく、置き配ができないので、家にいないといけないって思ってしまいます。それで外出がしにくくなるのが少しネックなところです。それはそうと、今日は昨日書けなかったセレンディピティについて書いていこうと思います。


 「セレンディピティ」の意味は、「思いがけないものに偶然出会うこと」です。科学の分野で主に使われることが多いみたいです。なんか言葉の響きとその意味からこの言葉が自分はめっちゃ好きです。で、なんでこの言葉について書こうと思ったかです。


 今時期って、どこの大学でも前期末にあたります。社会がこの状況なので対面テストなんてほとんどできてません。オンラインでリアルタイムテストをやっている授業も何個かあるのですが、大体はレポート課題を出されてそれを出して評価が付けられます。そのレポートの一つに、日本か世界で起こった巨大災害について調べて、まとめるってものと今後の対策を考えようってものがありました。もともと災害には多少興味はあったのですが、このレポートをきっかけに、最近災害についての本を一冊読むことがありました。


実際に読んだ本は、京都大学学術出版会が発行している『国際協力と防災』です。まだ全部読んでいないのですが、はじめの方を読んだだけでも自分にとっては思いがけない気づきにたくさん出会いました。でも、そのほとんどは心の中にふわふわ漂っているだけなので、言葉にできていないです。直感でビビットきたことってなんか言葉にできないのが自分にはよくあって、言葉の勉強は必要だなって毎回思います。


 でも!ちょっとだけ言葉にできることがあります。それは、災害を一つみることは、起きた現象だけをみることではないということです。どんな災害をとっても、そこに人がいるから”災害”ってなるのあって、人がいなかったらただの自然現象です。ただの自然現象を研究するだけなら自分は興味を持ちません。災害をひとつ見ると、建物が壊れたり、大雨とか洪水で家が浸水したり、原発のせいで生活を変えられたり。どれも人間社会と関わりがあります。苦しんでいる人がいます。科学者になって、自然現象を解明することはもちろん必要だと思っています。ただ、災害って人間の生活をぐちゃぐちゃにしうるものじゃないですか。災害から人を守るには、人間社会とか生活を理解することって大事だと思っていて、想像力がとてつもなくいるんじゃないかなって感じます。災害に立ち向かうには、都市構造とか、人の生活とかいろんなものを勉強することが必要で、いわばめっちゃ分野をまたぐ必要じゃないですか。いろんな分野の人が集まって、チームになるってなんか面白そう。相手は災害で、どこからくるかわからない上に人間の生活と絶対切り離せない。学ぶ理由があるように感じました。


今日は文章がごちゃごちゃしてしまいました。ごめんなさい。でも、読んでくれてありがとうございます!明日も1日頑張ります。

おやすみなさい!

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