たった2行の言葉から学んだこと
今日はキングコングの西野さんから学んだことと自分自身について考えてみたいなって思ったので書くことにしました。
自分はいまオンラインサロン西野亮廣エンタメ研究所に入っていて、毎日記事を読んでは驚いて、学びがあることに喜んでます。
ただその反面、なんでこんな文章を書けるんだろうっておもったり、映画、ミュージカルなどのいろんなエンタメを作っているのに圧倒されて、記事を読むたびになんか打ちひしがれた気持ちになります。
そんな毎日を送っている中、インスタライブかvoicyで西野さんが言った言葉に僕ははっと気づかされました。
それは
大学生の僕らが社会に出た時相手にするのは、
気の知れた先生、教授たちではなくて、
会社や家族のように守るべきものを持った人たち
だということ。
ぐさっと刺さりました。自分のプライドとか感情とかそんなことよりも守るべき人のために必死でみんな社会で生きているんだなって、感じれる言葉でした。たった数行だけど、自分にとってはすごく大きくて大切な学びになりました。
この言葉を聞いて、ふと自分自身のことを考えました。
自分には守るべきものってあるのかな
数秒悩んで、
ない
と答えました。
もちろん自分は骨がない腑抜けた人間ではないです。スポーツで負けたくない気持ちとか、カッコよく英語を喋りたいとか、やりたいことがあって毎日過ごしてます。
ただ社会で働く人と決定的に違うことは、守るべき人がいるかどうか。守るべき人の生活を背負って、毎日生きているかどうか。自分はそんな人を背負っていないように感じます。
となると、何かを背負うことが必要なのか。
それともなにも背負っていないことを活かすべきなのか。
この問いにはまだ答えられなそうです。
今はとにかく狂うように学ぶだけみたいです。
狂いましょう。
あしたも頑張ろ。
p.s. 背負うものがないと書きましたが、
実際はそうでもないのかも知れないです。ちっちゃなイベントのグループリーダーやったり、
顔合わせの企画や運営をやったりすることって大事なものを背負うことに似てるんじゃないかなって思いました。
そして、決定的に違うのは背負うものの重さで、
ある人は、目薬をポケットに入れていて
またある人は、赤ちゃんをおんぶしていて
またある人は、家族と手を繋いでて
またある人は、旗を振りながら大勢を引き連れて聖者の行進のように歩いていて
またある人は、自分についてきてくれる人を一人一人想いながら歩いていて
僕がこれからどんな旗を振って、どれくらいの重さを背負って歩くかはわからないけど、信じてくれる人、応援してくれる人には自分に与えてもらった以上のものをお返しできる人間になりたいってことは、一つ心に決まっていることです。それがエンターテイナーですから。