なぜわたしが?
今から約10年前の中学1年生の頃に「1型糖尿病」を発症した。必要以上にトイレに行ったり、水分を摂ったり…おかしいな?と疑うべきだった
でも夏だったから夏バテなのかもと思っていたし、そのころ部活(バドミントン)にのめり込んでいたし、負けず嫌いな性格もあって部活を休みたくなかった。
夏休みはその症状がありながらも元気に過ごしていたけど、9月に入り新学期が始まる頃はいつもの「自分」ではなかった。必ず朝ごはんを食べて学校に行っていたのに、朝ごはんをスキップしたり、家から学校まで約10分ほどなのにトイレを我慢できなかったり、周囲からも心配されるようになっていた。
担任の先生が私を保健室に連れていき、そのまま早退して母に連れられ、地元のクリニックを受診した。「夏バテかな~」と言われ、よく食べてよく寝なさいそんなことを言われてホッとした自分がいた。だって、もしかしたら病気かもと思っていたから。
でも体調は悪化していくばかりで、学校に行けない日が2日間くらい続いて、より大きな病院に連れて行ってくれた。(そのころの記憶はあまりない)目を覚ますと集中治療室にいた。母曰く、私はそのまま緊急入院することになり、約2日間寝たきりだったそう。先生たちのおかげで徐々に元気になったころ、転院することが決まり、そこで病名が告げられた。「1型糖尿病です。完治することはありません。」淡々と話す先生と、現実を受け止めきれないわたし。説明が終わり、病室に戻り、母の胸の中でたくさんたくさん泣いた。中学1年生の私に「一生治らない」という言葉は重すぎた。それから退院できる日まで毎日、母と父が交代で来てくれた。仕事と家のことをこなしながら毎日駆けつけてくれた。
ちなにに家族構成は【父・母・長男(5歳差)・次男(2歳差)・自分+弟(実はわたしは男女の双子)
育ち盛りの子ども、しかもみんなスポーツをやっていたからご飯の準備は特に大変だったと思う。
わたしが入院していることを知って、いろんな人が助けてくれて、母の親友はわざわざ往復3時間弱かけて手作りのご飯を届けに来てくれていたみたい。
病名を告げられたあの日、「なんでわたしが?」と思ったし、注射が必要な体が恥ずかしかった。周りの友達が羨ましいと感じるときもあった。でも、10万に1~2人の確率なんだ!稀有な存在だねと言ってくれた兄弟と病気だからといって特別扱いせず、サポートしてくれる両親のおかげで
前向きにとらえることができた。肌の色、髪の色が異なるようにこれも私の大事な個性なんだ!と