向き合う〜あるHIV感染者〜
肺炎で入院している友人が、
二年間、感染症の治療と向き合えずに
「逃げていた」と言う。
だからこんなことになったんだ、と。
極シンプルに言って、もっともな話だ。
なぜなら彼はHIV感染者であり、
二年前に緊急入院した際には、
突如両目の光を失い、全身には青紫色の斑点が出来ていて、壮絶な恐怖と苦しみの淵を彷徨い続けたからである。
しかしそれから暫くして、彼の片目は奇跡的な回復を見せ、感染症も落ち着いた。
無事に退院し、社会復帰も果たした。
それがどれほど凄まじい人生のシナリオであるかは、ろくに風邪も引かない私などには想像もつかない。
しかし、そこまで壮絶な復活劇を果たした彼なのに、いや、彼だからこそ、それからの二年間、実は治療と向き合えずに生きてきたと言うのだ。
これは自殺行為に近い。
彼もそのつもりだったのかもしれない。
1980年代、突如と現れた人類の宿敵として、世界中を恐怖に陥れたAIDS。しかし現代においては、目覚ましい医学の進歩による有効な治療法が確立されており、薬さえきちんと飲み続ければ、ノンキャリアと同じような日常生活を送ることも可能になった。平均寿命もさほど変わらないそうだ。事実、彼もまた、すこぶる元気に、それまでと変わらぬ日常生活へと戻ったのだった。
しかし、ひと月ほど前、突然連絡の取れなくなった彼を心配していると、案の定、再び入院していた。
なぜ、人は、時に、自暴自棄に陥り、
こうも「最も大切なこと」と向き合うことが
できなくなるのだろう。
そしてそれは、何も彼に限ったことではなく、
きっとあなたも、私自身も、そうなのだ。
彼は、また神さまに生かされて、
みるみる回復をし、もうすぐ退院を迎える。
これまで向き合えなかった自分を恨みながらも、
今は必死になってリハビリを続け、
精一杯毎日を生き、努力をしている。
世の中には、取り返しのつかないこともある。
彼がそのまま亡くなっていたら、
私はきっと、一生後悔しただろうと思う。
彼はどうやら、もう一度、天にチャンスを与えられたらしい。
「やっと、向き合えたんだ」
そう笑う彼は、今度、原付免許を取得すると言う。
「片目で運転出来るものなの?」
「試験を受けてもいいテストに合格したんだ」
いま、彼は希望に満ち溢れている。
ただ真っ正面から「向き合う」ということは、
これ程までに、人を強くするものなのか。
そしていつも、充分すぎるチャンスや恵まれた環境にいながらも、
あらゆるものと向き合えずにいた自分を恥じた。
心の底から、恥じた。
勿論、これからの時代は、何がなんでも嫌なことからとにかく逃げずに、がむしゃらに頑張りましょう!こうしなければ!という時代ではない。
それぞれが、それぞれの責任において、本当に大切なものと向き合い、取捨選択する時代だ。
何よりも、心と身体のすこやかな、
あたりまえの自分の豊かさのために。
人と比べた幸せの在りかではなく、
自分だけの真実において。
あなたも、この春、何と向き合いますか?
…すべての人に、幸あれ!!
Aisha
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