自分として生きる
スピリチュアルな生き方を意識するようになって、5年程になります。
でも、何を持ってスピリチュアルな生き方と呼ぶのかは、きっと人それぞれ。わたしの場合は、例えば斎藤一人さんの仰るような天国言葉を大切にしようと心に決め、実践するようになって、徐々に人生が良い方向へと変わっていったことが、一つの節目のように感じています。本当は、誰しも生まれながらにして、いつでも変わらず、スピリチュアルな存在なのだけれど。
ある日、自分という存在が、まるで機能しなくなってしまったと感じ、幽体離脱のような体験をしました。それまでも不思議な体験は度々経験をしてきましたが、今思えば、あの日から私の意識はガラリと変わったのです。自分というモノを、本当に客観的に捉える事ができた瞬間でした。
それまでの色々な出来事の意味や、波乱に満ちた半生の一つ一つ。それら全てがくっきりと人生のシナリオだったのだと心の底から理解できて初めて、溢れるような感謝の気持ちが湧いて来ました。すべて、経験をさせて頂いていたのだと言うこと。人生は謂わば豊かな遊びであること。
それからは、スピリチュアルな生き方が加速し、マインドフルネスな一瞬一瞬を生きるようになりました。
しかし今、私はまた新たなる経験という壁の前にいます。現在、所謂大企業下でお仕事を頂いているのですが、生活の安定とは引き換えに、上手く言い表わす事の出来ない「存在意識としてのズレ」を感じるようになりました。当たり前と言えば当たり前です。スピリチュアルな生き方というのは、資本主義社会に於ける自己啓発的な生き方とは、実は真逆のものです。
いつも幸せで、満たされて生きることを知った私たちは、利益優先のビジネス戦争などとは、本当には相容れないのです。
この人生の大きな課題と苦悩です。
頑張りすぎないよう、気をつけながら、いい加減に生きて来たつもりでしたが、もっともっと、いい加減に生きる必要があるようです。
そこで、本日、わたしも自らに緊急事態宣言を発令し、暫くゆっくり休むこととしました。
このような社会不安の中、個々に頑張って自粛するのではなく、出来るだけ頑張らずに、おうちでテレワークもいいけれど、場合によっては思い切って放り出し、豊かな自分に立ち返りましょう。
世界中に平和がはやく戻りますように。
Aisha
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