この世界の、まるいモノたち ①シーグラス
海沿いの小さな町で育った。
私はもう20年も前にその町を遠く離れたが、
故郷と聞くたびに思い出すのは
あの、長い、長い、海岸沿いの真っ直ぐな道と
砂壁の向こうに広がる見渡す限りの波打ち際だ。
そう、世界がまるい事を知った、あの海と空。
隣町に嫁いだ姉からのLINEは、
そんな故郷の浜辺を久々に散歩中という便り。
何やら、シーグラスを探しているのだと言う。
シーグラスとは、
捨てられたガラス瓶なんかが海に流れつき、
砕けては散り散りになりながら、
長い、長い、時間をかけ
波と砂利に揉まれてこすれては運ばれて
だんだん、だんだんと
小石のように丸みを帯びて風化したガラス片のこと。
それが、この今もどこか世界中の波打ち際に
そっと流れ着いては打ち上げられている。
ひとは、なんて愚かで、滑稽なんだ。
自分が出したゴミを拾うのに、
何年も、何十年も、何百年もの時を要し、
形を変え、まるく削れて傷だらけになって初めて、
キレイ!とかロマンティック!とか
最もらしく感動しながら、
その破片を手のひらに握りしめる事しかできない。
でも、ひとも同じかもしれないと思った。
そのもの、なのかもしれないと。
よく「角が取れて丸くなった人」なんて言うけれど、ひとも多くの経験をしながら傷付いて、そっと霞んだすり硝子のようになってはじめて、他人には見せない自分自身を本当に受け入れ、手離し、この宇宙に身を委ねる事ができるようになる。
プカプカとまた波にさらわれて、
何処かに行くのも、悪くない。
けれどみんなその奥には、シーグラスのように、
きっといつまでも澄んだ潤いを湛えているのだ。
波と風は、静かに悠久の歴史を刻む。
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この世界の、愛すべき、私のまるいモノたちについてのシリーズです。
素材は準備中です。
ナレーションも入れたいけど、一緒に入れられるのかな?←わかってない笑
ふと疲れたら、また遊びにいらしてくださいね。
Aisha