図書館があるせいで書店が潰れる
書店員の方から、ブロックされているらしいと気付いた。
しつこくコメントをしたり、そもそもこの方に何かコメントしたりした記憶が無い。いいね程度はしたかもしれないが、それでブロックされるとは考えられにくい。
心当たりがあるとすれば、自身がつぶやいている内容が気に食わない内容だったのだろうということくらいだ。
私は、本が好きだ。
書店で新しい本を買うこともあるし、図書館で借りることもある。中古の本を買うこともある。
「図書館があるせいで書店が潰れる」という思想を持っている方からすれば、もしかしたら、図書館利用者を目の敵にしている方もいらっしゃるのかもしれない。
先日、図書館の司書の方が「どうすれば図書館を利用しない人に図書館を利用して貰えるようになるだろう?」のようなつぶやきをされていたのを拝見した。
その中に「著者に申し訳ない」という理由で、「図書館を利用しない」と回答されている方もいらっしゃった。
図書館で読んだ上で、気に入った本を買う。
図書館の本だと壊しそうなので、図書館の本は利用せずに買う。
図書館で読んだ本の続きが出ていて、好きな本だった、つづきが気になる本だったので買う。
図書館で読んだ本が面白かったのに、図書館には他に同じ著者の本が無かったので買う。
書店には無かったが、図書館にはあったので、図書館の本を借りる。
書店の有無は確認してないが、図書館で目についた本だったので借りる。
買うほど欲しいと思っている本ではないので、図書館で借りる。
図書館で「予約(既に所蔵がある本)」は、したことがあっても、「リクエスト(所蔵がない本を購入して欲しいと希望)」は、したことが無い。
「図書館は貧乏な人が利用するもの」と言っている人をXで見た。
「図書館の自由に関する宣言」を知ったのは、有川浩(現在は、有川ひろ)先生の『図書館戦争』だった。
子どもの時分、「お小遣い制」ではなく、「欲しいものを申請制」の家だった。本は、「欲しい」と言ったものは買って貰えていた。おもちゃ類に関しては、母が買い与えたくないようなものは買って貰えないことがあった。値段の問題ではなく、「しょうもない(買うだけの価値が無い)」という判断で。
妹は覚えていないようだったが、妹が毎回ゾロリばかりを選ぶので、母が「そんなしょうもない本ばっかり、お母さんは買いたくない!他の本を選びなさい!」のように怒ったことがあった。
「本を買って貰えない」家庭がある中で、「本を買って貰える」のに「贅沢だ」「ワガママだ」と批判を受けるかもしれないけれど。
私は、自分が「買って欲しい」と選ぶ本次第で、母の機嫌を損ねるかもしれないと、怖いと思っているところがあった。
自分が好きなものを「しょうもない」と否定されるかもしれない。好きなものを否定されたら、悲しい。
「母が気に入りそうな本の中」から、「自分が好きな本」を選ばなければならない。
「自由に選んで良い」と言われていたけれど、「自由」だとは思えていなかった。
図書館は、大抵、車を運転する父が連れて行ってくれていたこともあり、何を選んでも良かった。
「自殺をしたくなったら図書館へ」
元々は、アメリカの図書館に貼られていたポスターのフレーズらしいけれど。これも何年か前に日本でバズっていたと記憶している。
大人になって、本当に「自由」に好きな本を買うこともできるけれど。
書店は、私に「生きていても良い」と思わせてくれる場所ではない。
大人になった今でも、図書館は、「生きていても良い」と思わせてくれる場所なので。
「存在することが許されている」唯一の場所だと思っているので。
図書館を否定されると、自身が「存在してはならないもの」として扱われているように感じる。