憶測でものを言うべきではないが。
芦原先生のXでの投稿内容を読んだし、そのあと、ドラマに携わった脚本家やプロデューサーに関する多分「無関係な人」たちの投稿も見た。
芦原先生の投稿内容を読んだだけで「何か」があったから、この投稿をされたのであろうことは察せられる内容であった。そこに「攻撃」の意図を、私は感じなかった。
しかし、「無関係な人」によって、「何か」の内容を知ることとなる。
「無関係な人」の投稿内容は、「攻撃」の意図があるように感じた。
「攻撃したかったわけじゃなくて。ごめんなさい。」
蘆原先生の最後の投稿が、とても悲しい。すごく傷ついたのだろうなと思う。ご自身は「釈明」や「謝罪」のつもりで投稿なさっていただろうに。
誰かを責める、叩くための大義名分にされて。どうすれば良かったのか、わからなくなっただろうな、と。
誰かを責めて、叩いて、追い込んで。その先に。相手が自殺したら、あなたは、自分の言葉の責任はどのように取りますか?責任を取れますか?
小学館が経緯を明らかにした場合、「誰」が「悪い」のか。
矛先が「誰か」に一気に向かうから、「社外に向けて説明をするべきではない」という判断なのではないかと。