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リスト:ソナタ風幻想曲「ダンテを読んで」

2021年のリストピアノチクルスは全4回のコンパクトなものになった。ホントはいつも通り全6回で計画したが、昨年のチクルスが大赤字だったために、今年は縮小せざるを得なかった。無念。

そこで、ホントは取り上げるはずだった曲のことについて自分の脳の補強のために少し書いてみようと思う(もうすぐ最終回だし...みなさんぜひご来場下さい!)。レクチャー原稿はメモ程度の下書きがあったりなかったりするとゆー程度だが、まず「ダンテを読んで」からやってみよう。


ソナタ風幻想曲「ダンテを読んで」

「ダンテを読んで」が含まれる曲集「巡礼の年第2年・イタリア」は、7つの楽曲から成っています。3つの小品に続いて3つのペトラルカのソネットが続き、そして最後に大曲「ダンテ」で締めるという充実した構成はただただ圧巻です。4つある巡礼の年(第1年スイス、第2年イタリア、第2年捕集ヴェネツィアとナポリ、第3年)の中でも最も力感に溢れているのが「第2年イタリア」と言っていいでしょう。
婚礼
物思いに沈む人
サルヴァトール・ローザのカンツォネッタ 
4ペトラルカのソネット第47番 
5ペトラルカのソネット第104番 
6ペトラルカのソネット第123番 
7ダンテを読んで:ソナタ風幻想曲 


「巡礼の年第2年」はマリー・ダグー伯爵夫人とイタリアに滞在していた際に着想され1830年代にはだいたい完成されていました。「ダンテを読んで」は1839年に既にリストの演奏記録があります。1830年代にリストはピアノ協奏曲第1番を作曲して、ロマン派的小品とは違うソナタ形式を運用したがっちりした構造の楽曲の創作に挑戦し、大きな成果を得ています。「ダンテを読んで」は「ソナタ風幻想曲」と控えめな感じで銘打っていますが、なかなかどうしてソナタの形式感は打ち出されています。四部構成の単一楽章作品ですが、四楽章構成のソナタのようにもなっています。それ全体が同時に一つのソナタ形式でもあるという、多楽章構成とソナタ形式を融合させる書き方は後年の傑作ピアノソナタロ短調やピアノ協奏曲第2番を予告しているようなことになっています。既に1830年代からリストは形式の冒険を始めていたということになるでしょう。こういった構造のソナタ形式は後の作曲家もチャレンジするようになりますが、リストはそのパイオニアだったわけです。


このようなソナタ形式と多楽章形式の融合は、シェーンベルクも試みています。シェーンベルクの室内交響曲第1番はその代表例です。


リストはゲーテに心酔していましたが(特にファウスト)、ダンテの「神曲」も愛読していました。ダンテソナタだけでなくダンテ交響曲も書いてるくらいです。ホントに好きだったんですね。神曲は 地獄篇 Inferno、煉獄篇 Purgatorio、天国篇の3部構成の作品ですが、リストが本当に心を寄せていたのは「地獄篇」と「煉獄篇」でしょう。リストだけでなく、ロマン派の芸術家たちの多くがそうだったでしょう。みんなだいたい穏やかな天国よりも地獄や煉獄(天国へ行くために浄化される過程)に惹かれるんですよね。リストやベルリオーズが「ファウスト」のメフィストフェレスに魅了されていたように....

ダンテは地獄篇でホラー的に地獄の光景だけを描いていたわけではなく、恋のために肉欲の地獄に堕ちたフランチェスカの悲恋を取り上げてロマンティックな絶唱を謳い上げています(地獄篇・第5歌/有名な部分です)。このフランチェスカ・ダ・リミニの部分に魅せられる芸術家は多いです(ロダン、チャイコフスキーなどなど)。恋愛・愛欲に殉じて地獄に堕ちる恋人たち、とゆーテーマは普遍的でありますが極めて十九世紀的と言えるでしょう....リストの「ダンテを読んで」も凄まじい地獄の情景が苛烈な超絶的技巧でこれでもかとばかりに表現されていますが、やばいくらいロマンティックで甘美な部分も多いのです。そういった部分はだいたいフランチェスカに由来していると言っていいでしょう。このソナタを書いていた時期のリストはまさにマリー・ダグーと不倫して逃避行の真っ最中。つまり「愛欲の地獄」の真っ只中にいたわけですから、当然「神曲」のフランチェスカの部分は他人事ではなかったでしょう。清らかでちょっと宗教的な部分は永遠の淑女ベアトリーチェ由来ということになるでしょうか(ベアトリーチェは煉獄篇でダンテを天国へ案内する役割を負っています)。リストは猛烈な地獄の描写一辺倒にならないようにフランチェスカやベアトリーチェの部分を利用して曲調に変化をつけていったわけです。

多くの芸術家たちが「神曲」を元にした作品を作っています。美術でまず有名なのがミケランジェロのシスティーナ礼拝堂の大作「最後の審判」でしょう、

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ロダンの「考える人」も地獄篇第三歌より着想された大作「地獄の門」の頂上に置かれる一部分にあたります。

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ロダンの「接吻」も地獄の門の一部分で、フランチェスカがモチーフになっています。


文学でも「神曲」の影響は書き切れないほどです。

音楽ではやっぱりリストのダンテソナタと ダンテ交響曲が有名ですが、それ以上にポピュラーでよく演奏されるのはチャイコフスキーの交響詩でしょう。ラフマニノフザンドナーイのオペラも時々上演されます。


さて、「ダンテを読んで」というタイトルはユゴーの『内なる声』に収録されている「ダンテを読んで」という詩に基づいています。つまりこの作品はユゴーをかなり意識してるってことなんです。ユゴーが詩人として「神曲」をそう読んだのなら、おれは音楽家として「神曲」をこう読むぜ!みたいな感じでしょうか。それからリストの「神曲」への思いは更に深まり、より壮大な形で・「ダンテ交響曲」として結実することになるわけです。


「ダンテを読んで」の冒頭では地獄の門を開くように、中世の時代から「音楽の悪魔」と呼ばれて忌避されてきた増4度(三全音)の下行音形が物々しく提示されます。増4度は1オクターヴをちょうど二分割するので別れや死を想起させることから忌み嫌われてきましたが、リストをはじめとして多くの作曲家が、地獄・悪魔や死など不吉なものを象徴する手段として用いてきました。

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この冒頭の音楽の悪魔の音形は地獄のモットーのように、曲中で繰り返し印象的に奏されます(門のテーマと言われたりもします)。この不吉で印象的な動機で全曲はまとめられています。どんなにロマンティックな感情に溺れていてもこの動機が現れると聴衆はイヤでもここが「地獄」なのだということを再認識されられることになるわけです。ラストでは輝かしく高らかに盛り上がって締めくくられます(おれはここまでの盛り上がりはやり過ぎだと思う)。門の動機は最後は「完全音程」となって燦然と鳴り響きます。

地獄はものすごい難技巧で表現されます。こういった凄絶な描写は難技巧と相性がいいのです。だからこの作品はリストの作品の中でも際立って演奏至難なものになったのです。



余談:ダンテ交響曲

ダンテ交響曲は1地獄、2煉獄&マニフィカトという二つの部分から成っている。正式な題名は ダンテの『神曲』による交響曲

第1楽章の「地獄」はトロインボーンとチューバの強烈な音形で始まる。これがピアノの「ダンテを読んで」の門の動機に対応する動機になる。ここには神曲第三曲冒頭の「ここに入るものはあらゆる望みを捨てよ」という句が付けられている。

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楽章の主部は3部形式で、その中間部では印象的なバスクラリネットに導かれるようにハープに彩られたコールアングレの旋律が始まる(動画の10minくらいからご覧ください)。このアングレの部分には神曲第5曲の「不幸にあって、幸せなる時を思うことほどの苦しみはない」という句が付されている。つまりここからがフランチェスカの場面にあたるわけだ。このアングレから始まるフランチェスカの場面(17:45minくらいまで)はリストの最良の部分が余すところなく表現されていると思う。圧倒的な美しさ。愛欲の極限の表現と言ってもいいかもしれない。

2楽章「煉獄」の中間部はフーガ(31:20minから)はLamentosoと指示されている通り、哀切な思いに引き裂かれるようなフーガ...。この凄いフーガの果てに浄らかなマニフィカトが現れる。ただひたすら感動的だ。天から降ってくるようなソプラノソロ!なんという美しさだろう。

この交響曲を聴くと、リストの神への思いは本物だったのだなと強く認識させられる。

本来は3楽章構成で3が天国ということになるはずだったが、その構成を知ったワーグナーが「天国を音楽で表すなんて無理」と言ったので、煉獄のラストで女声合唱を入れて宗教音楽のマニフィカトで終わらせることにしたという。リストは天国の楽章をワーグナー風にとことん壮大に終わらせようとしていたが、もしそのままだったら例によって大げさに風呂敷を広げてどんちゃんやる可能性もあった。現行のようにマニフィカトで慎ましく終わる幕切れに変わってもの凄い傑作に仕上がった。ワーグナー、グッジョブ👍

余談:チャイコフスキー「フランチェスカ・ダ・リミニ」

クラシック音楽のジャンルで神曲といえばチャイコフスキーの交響詩「フランチェスカ・ダ・リミニ」だろう。

チャイコフスキーの管弦楽曲の中ではトップクラスの人気を誇る作品。リストが地獄の描写を長めに書いたのに対して、チャイコフスキーは地獄の描写以上にフランチェスカの悲恋に焦点を当てて思い切りロマンティックな方向で曲づくりをした。「ロメオとジュリエット」に似た感じの書き方だが、「フランチェスカ」の方はもっと身も蓋もなくドロドロで汚いところのあるお話なので、音楽も重心が低く、愛欲の沼で二人がたうち回るように むせかえるような濃厚さで仕上がっている。若い二人の純粋な悲恋が透明に浄化され天に昇ってゆく「ロメオとジュリエット」とはだいぶ違う。

なんてったって「フランチェスカ」は愛欲地獄なのだから....ちなみにチャイコフスキーも愛欲の地獄をよく知っている作曲家だったりする。

余談:マーラー交響曲第10番の3楽章・煉獄(プルガトリオ)


ちなみに、マーラーの交響曲第10番の3楽章には煉獄(プルガトリオ)とゆータイトルが与えられている。これがはっきりとダンテの神曲からきているのか、ダンテを経ないで直接カトリック教会の教義から来ているのかどうかはっきりしていないだけれど....マーラーがダンテの煉獄を知らないはずはないと思うし、どうなんだろう。妻アルマの不倫を疑いながら書いたこの交響曲は、まさに愛の地獄の中で書かれた音楽。おれはそれがダンテと全く無関係だとは思えないけどな...。

まさに地獄のような第1楽章をぜひ聴いてほしい。そのカタストロフの凄絶なサウンド!(動画の19minから)愛が引き裂かれ絶叫と共に崩壊する音響が脳内に響き渡っていたマーラー...。こんな苦しみがあるだろうか。このカタストロフの中でトランペットで強奏されるA(ラ)の音はおそらくアルマ(Alma)のA...

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愛の地獄....


もしマーラーの愛の地獄に興味があったらパーシー・アドロン監督の『マーラー 君に捧げるアダージョ』(2010)を観てもいいかもしれない。



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