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ベートーヴェン:ピアノ三重奏曲 変ロ長調 Op.11「街の歌」


2008年に書いた原稿を大幅に加筆修正しました

ベートーヴェン:ピアノ三重奏曲 変ロ長調 Op.11「街の歌」
1797−98年の作品。


18世紀末、ウィーンでは管楽合奏による華やかな作品(ハルモニームジーク)が娯楽音楽として流行していました。モーツァルトもたくさん作曲してます。「グランパルティータ」KV361「ハ短調セレナード」KV388とか名曲がいろいろありますね。ボンからウィーンに出てき たばかりの若きベートーヴェンは、ウィーンの聴衆を喜ばせるために、管楽器を活用した娯楽的な作品を沢山作曲しています。ボンの宮廷でも選帝侯マクシミリアン・フランツがハルモニームジークが好きだったので流行っていました。ボン時代のベートーヴェンはハルモニームジークの響きにずっと親しんできたのです。
ピアノと管楽のための五重奏曲Op.16七重奏曲Op.20 三重奏曲Op87といった作品と同様、本日聴いていただくピアノ、クラリネッ ト、チェロのための三重奏曲(1797)もそうした流れの中で作曲された作品ということになるでしょう。3楽章構成のこの三重奏曲は、構成もコ ンパクトで、演奏時間もそれほど長くありませんが、極めて充実した作品です。初版譜には「大三重奏曲 Grand Trio」とあります。
コンパクトな外見なのにGrandと謳われているのも、その音楽の充実した内容から考えれば、決して大げさな言い方ではありません。
「街の歌」というニックネームは、フィナーレの第3楽章の変奏曲の主題に、当時のウィーンの街で大人気だっ たコミック・オペラ『海賊 または船乗りの愛 Der Korsar oder Die Liebe unter den Seeleuten』(ヨーゼフ・ヴァイ グル作曲)の中の三重唱「わたしが約束する前 にPria ch'io l'impegno」の旋律を使っていることからきています(街で流行っていた歌を使ってるから、「街の歌」です)。仕事の前にちょっと腹ごしらえ、みたいな軽い内容の歌詞です。この旋律は、フンメルや パガニーニはじめ多くの作曲家が変奏曲の主題に使うなど、広く愛好されていました。
変奏曲はベートーヴェンの得意 とする分野です。この時期に本格的室内楽作品に変奏曲を導入したことは注目すべきことです。
この変奏曲楽章は秀逸な出来映えなのですが、作曲者本人はこの楽章に不満を持っていたようなのです。弟子のツェルニーの証言によれば、ベートーヴェンはこの第3楽章の変奏曲を、後年の「カカドゥ変奏曲 Op.121a」のように独立した楽曲として切り離し、新たな3楽章を作曲することを何度も検討していたといいます。楽章の出来不出来というよりは、この三重奏曲にはもっと相応しいフィナーレがあるのではないかと考えていたようです。 自分の「本格的な室内楽作品」の中に他人の曲のメロディが入るのが嫌だったのかもしれません。
おれは個人的にはこうした娯楽的要素の混入こそがこの作品の魅力でもあると思っているんですが、どうでしょうか。

なお、この作品はクラリネットのパートをヴァイオリンで弾いても良いことになっており(アレンジはベートーヴェン自身による)、ヴァイオリンでもよく演奏されます
でも、やっぱりクラリネットの方がいい感じだとおれは思うけどな….(ヴァイオリンだと音楽がシリアスになりすぎる気がします)
この作品はウィーンの名クラリネット奏者ヨーゼフ・ベーア(ベール)の依頼で作曲されたと考えられています。ヨーロッパ中で活躍していたベーアがウィーンにやってきたのは1796年のことでした。ベーアはベートーヴェンにクラリネットの扱いや表現について大きな影響を与えました。六重奏曲Op71(1796)、七重奏曲Op20(1799)もベーアが初演しています。ベーアはこの時期のベートーヴェンにとって非常に重要な存在でした。


変奏曲楽章は様々な工夫が凝らされています。通常ひとつのminore(短調)の部分がこの楽章には二つあり、しかもそれが当時としては異例の変ロ短調で書かれているのが異例です。
ベートーヴェンは1899年の七重奏曲でも、変奏曲を取り入れて(第3楽章)、これは当時の大ヒット曲になりました。
こうした変奏曲導入の試みが後のエロイカのフィナーレ、交響曲第7番の第2楽章などに繋がっていって、ベートーヴェンの後期の作品に結実していくことにもなるのです。

余談:ヨゼフ・ベーア

ヨーゼフ・ベーア(1744-1812)

ヨーゼフ・ベーア(1744-1812)はボヘミア出身のクラリネット奏者・作曲家。
元々トランペット吹きで、フランスの軍隊でトランペットを吹いていたが、パリでクラリネットに出会い、クラリネットに転向。国際的に有名なヴィルトゥオーゾ奏者になった。ベーアはモーツァルトの友人でもあった。モーツァルトのピアノ協奏曲第27番変ロ長調KV595はベーアの依頼によって生まれたものだった。
当時、クラリネットは開発途上の新しい楽器だった。ベーアは5番目のキーを導入し、重要な改良をもたらした。
ベーアはヨーロッパ中で演奏しながら様々な作曲家に刺激を与え、各地でレッスンをして後進も育てた(ハインリヒ・ベールマンなど)。

1790年頃のクラリネット


マンハイム楽派の重要な作曲家カール・シュターミッツ(1745-1801)はパリで活動していた時にヨーゼフ・ベーアと友人になった。シュターミッツはベーアの協力と友情から11曲ものクラリネット協奏曲を作曲した。これらの協奏曲は現在でも古典のクラリネット作品の重要なレパートリーになっている。
以下に2曲あげておこう
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カール・シュターミッツ:クラリネット協奏曲第3番
カール・シュターミッツ:クラリネット協奏曲第10番

ベーア自身もクラリネットのための作品を残している。
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ヨゼフ・ベーア:クラリネット協奏曲変ロ長調


余談:ヨーゼフ・ヴァイグル


ヨーゼフ・ヴァイグル(1766-1846)

「街の歌」の変奏曲のテーマを作ったヨーゼフ・ヴァイグル(1766-1846)はアイゼンシュタット生まれの作曲家。
アイゼンシュタットはオーストリアの東部の街でハンガリー貴族であったエステルハージ家が支配していた地域(オーストリア領)。彼の父親のヨーゼフ・フランツ・ヴァイグルはエステルハージ家のオーケストラの首席チェリストだった。つまりお父さんはハイドンと一緒にエステルハージ家に仕えていたのだ。ハイドンはヨーゼフ・フランツのために名作チェロ協奏曲ハ長調 Hob. VIIb/1を作曲したと言われている。
そしてハイドンはヨーゼフ・ヴァイグルの名付け親でもある。めっちゃサラブレッドなのだ🐴。
ヨーゼフはアルブレヒツベルガーやモーツァルト、サリエリに学んだ。こうして見ると、ヨーゼフの師匠筋はけっこうベートーヴェンとかぶっているんだよなあ。同じDNAを持っているんだね。
ヨーゼフ・ヴァイグルは1792年にウィーン宮廷劇場の楽長になり、1827年から1838年までは宮廷副楽長を務めた。けっこうな出世だ。ヴァイグルは、イタリア語とドイツ語の両方でさまざまなジャンルのオペラを多数作曲し、人気があったようだ。

ヴァイグルの最もポピュラーなオペラは「スイスの家族」
"Die Schweizerfamilie"(1809 年)だ。
序曲やカヴァティーナ、ロマンスや重唱を動画で聴くことができる

歌劇「スイスの家族」
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序曲
カヴァティーナ
ロマンス
スイスから遠く離れて
二重唱
二重唱
三重唱
五重唱
。序曲からして木管楽器の活躍が目立つ。ソリスティックな木管が絡み合い、軽やかに歌い交わすところはなかなか印象的だ。オケがシンフォニックに鳴るところもあるんだけれど、全体にはオケはあまり厚く書かれていないのが特徴と言えるかも。
二重唱の時に伴奏がクラリネット一本だけになるところがあって、なかなかおもしろい雰囲気になってる(ちょっと森の中みたいな不思議な感じになる)。
おれはカヴァティーナは素敵だと思うし、「スイスから遠く離れて」の場面のメロディも秀逸だと思う。ヴァイグルはまず天性のメロディメーカーであり、風通しのいい軽やかなサウンドが特徴とゆーことだろうと思う(ハープと木管のコンチェルティーノなんか涼やかでホントに美しい)。だからオペラのナンバーを室内楽にアレンジしてもあまり違和感なく聴けてしまったりする。例えば「スイスの家族」の序曲の室内楽編曲版オリジナルと聴き比べてみて欲しい。そもそもシンフォニックに書かれていないので、室内楽になっても印象はそれほど変わらない…。



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